相対向きか、正面向きか。首里城火災後、再建が進む中で議論が再燃している正殿前の大龍柱の向きに関する新資料が確認された。琉球国王が居住していた1877年に琉球を訪れたフランス人が写した写真に、正面を向く大龍柱が写っていた。正面向きを主張してきた研究者は歓迎した。国の首里城復元に向けた技術検討委員会の高良倉吉委員長は、写真の分析を進めることを明らかにした。
正面向きを主張している琉球大学の西村貞雄名誉教授は「写真の発表は大きい。皆で検討し、いい方向にもっていけるようにしたい」と語った。
前回の復元以来、琉球王府の公文書に描かれた図を基に大龍柱は相対向きだとしている高良委員長は「なぜ外国人が現役時代の首里城を自由に撮影できたのか、撮影年代が本当に1877年なのかというポイントがある」と指摘。「これらがクリアされれば向きを再検討する重要な資料になる」とした。
また、向拝柱の彩色や、階段の手すりが見えないことなど、当時の首里城の姿からすると疑問点もあるとし、分析する意向を示した。
技術検討委員の安里進県立芸術大学名誉教授も、神聖な場所とされた正殿前の階段に人が腰掛けていることに「王国時代にはありえない」と指摘。撮影年と紀行文の発表年のタイムラグにも着目し、資料を収集しているとした。
新資料を発表した後田多敦准教授はシンポジウムで、「1992年の復元では古い時代の首里城を明らかにした。しかし大龍柱の向きが相対向きになったのは、近代の研究が足りなかったからだ」と指摘。近代史の知見を入れて再建することを提案した。
正殿再建の事業主体である国は、モデルとする時代を前回の復元と同じく「1712年ごろ再建され、1925年に国宝指定された正殿」としている。