県警の警察官2人と民間人が暴力団と間違われ、射殺された1990年の暴力団抗争。30年後の今も捜査は続いている。逃亡した実行犯の1人は県外で既に死亡している可能性もあるが、県警は「骨に手錠をかけてでも」との思いで、事件解決に執念をにじませる。

暴力団に撃たれ病院に運ばれる警察官=1990年11月23日、沖縄市胡屋

■同じような事件

 同じような事件は95年8月に京都市でも発生した。暴力団事務所前で抗争の警戒に当たっていた私服警察官1人が、敵対する暴力団関係者と見誤られ拳銃で撃たれ死亡した。

 実行犯とされた暴力団組員3人は幹部の指示で警察に出頭。その責任を取って山口組傘下の組織団体も解散した。事件を受け抗争自体も和解、終結している。

 しかし県内で起きた抗争事件は違った。90年11月に民間人の犠牲が相次いだ後も1年以上抗争は続き、実行犯1人は県外へ行方をくらました。

 逃亡先を知る暴力団幹部や関係者は一様に口をつぐみ、誰も責任を取ろうとはしなかった。

 警察官射殺事件から30年近く、逃亡した実行犯の男の行方を追ってきた県警幹部は「京都の事件はヤクザ組織としての筋を最低限通した。しかし沖縄のヤクザは責任を取りきれない。逃げ続けている」と怒りを込める。

■「骨に手錠を」

 殺害された警察官の遺族は実行犯の旭琉会組員と幹部を相手に慰謝料を求め、福岡高裁那覇支部は2002年12月、約1億3800万円の賠償を命じた。

 旭琉会側はすでに完済しているが誠意ある謝罪はこれまでない。「金銭ではなく組織が存続し、当時の事件関係者が幹部として居座っている自体が問われるべきだ」と県警幹部は言う。

 県警の調べでは全国指名手配中の実行犯は2000年10月ごろ、県外から家族に電話し自身が末期がんだと伝えている。既に死亡している可能性が高いが「遺体や骨が見つからず、死んだという事実を示すものがない」(県警関係者)として立件できずにいる。

 県警幹部は「先輩たちは骨にでも手錠をかけるという思いで捜査を続けてきた。このまま終われない」と事件解決に執念をにじませた。