1877年にフランスの軍人、ルヴェルトガが首里城正殿を撮影した写真が確認されたことを受け、国の「首里城復元に向けた技術検討委員会」委員長の高良倉吉琉球大学名誉教授は22日、フランス人の来琉が「琉球側の資料で裏付けられた」と述べた上で「大龍柱(の向き)は現時点では前回と同じだが、写真が向きを見直す根拠になるかどうか、検討されると思う」との見解を示した。
同日県立博物館・美術館で開かれた首里城再興に関する公開討論会の場で話した。
記録があったのは那覇市歴史博物館が所蔵する「御書院日記」。それによると1877年4月1日、泊港にフランス船1隻が現れ、3日正午ごろにフランス人7人、明治政府の役人4人が首里城を訪れた。北殿でお茶とお菓子とたばこをふるまい、午後2時ごろ首里城を後にした。4日にもフランス人が来て、お茶をふるまったという。
高良名誉教授は「写真撮影を許可したという記録はなかった」とも指摘。「新しい事実を絡めて首里城正殿の姿を技術検討委員会で検討していく」と話した。