2000年に「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の委員会で世界文化遺産に登録され、2日で20年になった。登録されたのは今帰仁城跡(今帰仁村)、座喜味城跡(読谷村)、勝連城跡(うるま市)、中城城跡(北中城村、中城村)、首里城跡、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、識名園、玉陵(たまうどぅん)(以上、那覇市)、斎場御嶽(せーふぁうたき)(南城市)の九つ。いずれも琉球が統一へ向けて動きだした14世紀から、王国文化が成熟する18世紀までの独自の歴史を示す遺跡・名勝で、沖縄を代表する文化財が人類共通の宝として認められた。関係者は20年を振り返りながら、今後の保存活用に向けて意欲を見せている。

琉球王国時代の建築文化を象徴する陵墓「玉陵」=11月26日、那覇市首里

 首里城の西側に位置する玉陵は、1501年に尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築いた第2尚氏王統の陵墓だ。切り妻造りの屋根を持つ沖縄地方独特の破風墓(はふばか)形式としては現存するもので最古かつ最大の規模。琉球王国時代の建築文化と葬墓制を象徴するとして、2018年には国宝にも指定された。

 解説会などを担う管理指導員の宮城春彦さん(56)は「琉球の築城技術の粋が詰まった祭祀空間。今に残る沖縄の文化、精神世界が当時どうあったのかも感じることができる」と説明。デザインや由来など「謎が多い」ことも魅力だと語る。

 デイゴやアカギなどの緑で囲まれた厳かな空間。広がる敷地の奥には3棟の墓室が並ぶ。中室は洗骨前の遺体を安置する部屋があり、東室には国王と王妃、西室はその他の王族の遺骨が納められていた。

 自然の岩山を加工した石造りの外観は、16世紀の首里城の姿を模したとも言われている。

 全体の配置などグスクと共通点が多いとされる中、東室と中室の間、ほぼ中央の円塔などの意味や役割は不明のまま。欄干に正面向きの獅子が並ぶ中、東室前だけは相対向きである理由もはっきりしていない。

 「研究し尽くされておらず、謎が多い。沖縄に残る精神文化まで解説できれば、もっと生きる」と宮城さん。研究者を含め多くの関心が集まることを願う。

 世界遺産登録後、ガイダンス施設「奉円館」などの整備が進み、県民にも周知された。来場者は当時の約5万7千人から一時倍増したが、昨年は約8万4千人と近年は伸び悩む。

 那覇市文化財課主事で学芸員の江上輝さん(27)は、首里に残る他の文化財との関連性を強調し、「点と点で結ぶことで重層的な琉球の歴史を学べる」と意義を語る。将来的に周辺の文化財とともに魅力を発信する場にしたいと考えている。