年を重ねるにつれてだいぶマシになった気はするけれど、私はかなりドジでそそっかしい。左右で全く違う靴を履いて出社してしまったのはまだかわいい方で、泥酔した見知らぬおじさんを同僚記者だと早とちりして、那覇市の本社からはるばる名護市の北部支社まで車で送ってしまったこともある。熱くなって動作が遅くなったノートパソコンを「少し冷やせば何とかなるだろう」と冷凍庫に突っ込んだまま、すっかり忘れてカチコチに凍らせてしまった時には、クールで知られる先輩までもが「まさにフリーズ!」と吹き出していた。

 昔からそんな調子で、大学入試センター試験は寝坊した上に受験票を忘れ、さらには数学の大問1問を丸々見落とすというトリプルミス。ほかにもあれやこれやと、とてもここでは書けないような恥ずかしい失敗談のオンパレードで、NHKのチコちゃんよろしく「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と自分に言いたくなる。  
 
 最近はどこの学校も、子どもたちの発達の凸凹(デコボコ)にはとても敏感だ。もし私が在籍していたら、どうだったんだろう。「ちょっと気になる子」「手の掛かる子」とみられていたかもしれない。

 

 そうリアルに感じるほど、県内の小中学校では特別支援学級の在籍者の増え方がすさまじい。特に発達障がいの傾向のある子が多く通う「自閉症・情緒障がい学級」は、2009年度の173人から19年度には3389人と、たった10年間でほぼ20倍になった。全国平均の2.7倍だって相当なハイペースなのに、沖縄の突出ぶりはまるで次元が違う。

 知的障がい学級なども含めた特別支援学級全体のクラス数を見ても、ほんの5、6年前は1校に1~2クラスが普通だったのに、今は10クラスを超える学校もある。来年度には全体のクラス数の3~4が特別支援学級という学校も出てきそうだ。

 たしかに以前は自閉症・情緒障がい学級のある学校は少なく、「地元の学校で特別支援教育を受けたい」という保護者らの要望は切実だった。実際、通常学級よりも支援学級が大好きという子は多く、選択肢が広がった意義は大きい。
 
 一方で、ここまで急激に在籍者が増えることは、行政や学校側も想定外だったのではないか。教室や教員が足りないといった学習環境の課題はもちろん、「なぜ支援学級にいるのか分からない」「判定が甘過ぎるのではないか」といった疑問の声が、ほかならぬ教員たちから聞こえてくる。

教室が足りなくなり、簡易的な仕切りで急場をしのぐ学校もある

 発達障がいは脳の機能的な違いに由来するといわれているけれど、それを「障がい」と見なすことには懐疑的な専門家も少なくない。狩猟採集社会ではあちこち動き回る「落ち着きのなさ」こそが優位性を持っていたと言われているし、音や光、においに対する「感覚過敏」も、天候の変化や危険の接近を素早く察知する特殊能力として重宝されたかもしれない。障がいではなく、単なる特性の違いに過ぎないという見方だ。
 
 2007年度に全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)がスタートして以降、授業の統一規格化が徹底されるようになり、「無言清掃」に象徴されるような規律重視の風潮も強まった。それを一概には否定しないけれど、凸凹をより見えやすくしている側面があるのは確かだろう。通常学級に居づらい空気を醸成し、「排除」につながってはいないか心配だ。
 
 空気が読めない人。おおざっぱで計画性のない人。いったん集中したらほかのことが見えなくなる人。効率やスピードが重視される現代日本の社会や学校の枠組みでは「はみ出し者」に見えがちだけれど、いろいろな特性の人たちが互いの足りない部分を補い合ってきたからこそ、今のこの世界がある。

 寛容さを忘れないでいよう。私のおっちょこちょいなところも、あなたの慎重さも、きっとどこかでだれかの役に立っている。