【沖縄】米兵が起こした人身事故をきっかけに住民が米軍車両を焼き払った1970年の「コザ騒動」から、20日で50年を迎えた。シンポジウムが19日、沖縄市で開かれ、体験者らが半世紀前の米軍統治下での出来事を「その後の県民の米軍への抗議行動に影響を与えた」と振り返った。統制が取れた「騒動」だったのか、鬱積(うっせき)した怒りが爆発した「暴動」か、主体的な「住民蜂起」か-。登壇者らが意見を交わした。

「コザ騒動」50年を前にシンポジウムに登壇した(左から)中根学さん、照屋寛則さん、佐渡山豊さん、前原洸大さん、司会の今郁義さん=19日、沖縄市のコザ・ミュージックタウン

 コザ騒動の現場となったゲート通り沿いのコザ・ミュージックタウンで開催。当時コザ高校2年の写真部員で、発生現場となった軍道24号(現国道330号)沿いに住んでいた照屋寛則さん(67)は、たまたま買ったばかりのフィルムをカメラに収め、発生直後から写真を撮った体験を語った。

 照屋さんは「現場は非常に統制が取れた雰囲気だった」とし、「新聞で『暴動』と書いてあり、違和感を覚えた。暴動ではなく『騒動』だったと自信を持って言える」と話した。

 照屋さんの同級生で沖縄タイムス元編集局長の中根学さん(66)は、現場の路肩にあった車両3台を道路の中央まで押して移動させた。「略奪行為はなく一般的な暴動のイメージには当たらないが、騒動というほど生易しいものでもない。『住民蜂起』という表記が近いだろう」と指摘。今後も体験を語り継ぐことの必要性を強調した。

 シンガー・ソングライターの佐渡山豊さん(70)は米兵を車両から降ろして車をひっくり返す流れが自然とできており、黒人の車両には危害を加えないなど、一定の統制が取れていたと回想。「危ない感じはせず、冷静だった」と振り返った。

 元沖縄市平和文化振興課長の今郁義さん(74)は発生当時、世界中で反戦運動などが広がっていたこともあり、あえて主体的な『コザ暴動』だと捉えていたとするが「『一夜の蜂起』であるとも言え、沖縄戦後史に大きな影響を与えた。今の『ブラック・ライブズ・マター』につながる動きが当時からあった」と強調した。

 シンポはコザ暴動プロジェクト、沖縄アジア国際平和芸術祭実行委員会などが主催した。