[「防人」の肖像 自衛隊沖縄移駐50年]

復帰前後の自衛隊を巡る主な動き

 1972年の日本復帰に伴い、沖縄に自衛隊が駐屯を始めて今年で50年目。沖縄戦が繰り広げられた国境の島しょ県は、現代の「防人(さきもり)」とどう向き合ってきたのか。

 日本復帰前後の自衛隊は県民の激しい反発を受けた。配備が本格化すると、自治体が自衛隊員の転居手続きを拒否。成人式への参加を拒まれるなど、地元の「反自衛隊感情」は、一層高まった。

 1965年3月11日付の沖縄タイムス夕刊は、那覇軍港に幹部候補生200人が到着し「日本自衛隊が大挙来島するのは初めて」との記事を掲載。隊員らは米軍の訓練を視察し、沖縄戦などの歴史を学んだ。移駐に向けた準備は着々と進められたが、反発を受けた。

 復帰した72年は特に県民感情が高まった。10月4日に陸上自衛隊の臨時第1混成群が、県出身の桑江良逢群長(1佐)を先頭に到着。2日後、県内配備などに反対する県民総決起大会が開かれ、約1万2千人が抗議。当時としては最大規模の大会となった。

 移駐後は不発弾処理や災害派遣、急患輸送など幅広い活動を展開。反発する県民感情は移り変わった。

 現在は、中国を念頭に置いた「南西シフト」が加速し、宮古島や石垣島、与那国島などでの機能強化が進んでいる。

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 連載[「防人」の肖像 自衛隊沖縄移駐50年]第1部は、復帰前後の地元のまなざしと、ほとんど語られてこなかった元自衛官たちの体験談から「対峙(たいじ)」の源流をたどり、部隊配備が進む今を捉え直す。

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