太平洋戦争時に日本軍が本土の芸者らを連れて開設した「偕行(かいこう)社」にいたとみられる女性らが、第32軍司令部の「特殊(特種)軍属」として動員されていたことが6日、分かった。国立公文書館所蔵「第三二軍司令部球第一六一六部隊 留守名簿」の記載を沖縄大学地域研究所特別研究員の沖本富貴子さん(70)=八重瀬町=が確認した。沖縄戦の識者は「特殊軍属」が「慰安婦」「慰安所」を示すとし「司令部に慰安婦がいたことを公文書が裏付ける重要な資料」と指摘する。

第32軍司令部(球第1616部隊)留守名簿(沖本富貴子さん提供)

 「第六二師団会報綴」(1944年12月21日)などによると、偕行社は「球部隊内将校、高等文官の親睦を図り戦力を昂揚する」目的で設置された将校クラブ。当時の豊見城村長堂に設置され、第32軍司令部軍医の大迫亘の著書によると45年5月初旬に首里の司令部壕に移動した。

 関東学院大学の林博史教授(現代史)は「いわゆる『慰安婦』は日本軍や外務省の公文書で『特殊(特種)婦女』『特殊女性』などと書かれており『特殊軍属』は間違いなく『慰安婦』を指すもの」と指摘。

 司令部壕での慰安婦の存在は、これまにでも証言や資料などで明らかにされているとしつつ「『慰安婦』の名簿はないが、それを日本軍が作った資料、公文書としてさらに裏付ける重要な資料になる」と述べた。

 留守名簿は、当時の陸軍省の指示で各部隊が作成。32軍司令部の留守名簿からは「偕行社」の関係者とみられる14人が確認でき、2ページの記載にわたる名簿右上には「特種軍属」「特殊軍属」とあった。1人は「偕行者(原文ママ)附属」調理人と記されていた。

 14人の中で住所や本籍地で確認できたのは、山口県や香川県、東京都、滋賀県、群馬県、大分県、熊本県、宮崎県。このうち9人が6月20日に沖縄本島で戦死したと記録されており、ほかは「帰還」や「復員」などと記されていた。

 名簿の中には「偕行社」の経営者とみられる人物名もあり、別の日本軍資料「球軍日々命令綴」(45年5月10日)にも同じ氏名があった。沖本さんは、そこに記された代表者や人数などから「偕行社」の関係者だと気付いたという。

 沖本さんは「この名簿から『慰安婦』を軍隊が紛れもなく管理していたことが分かる証拠になる。名簿の無い朝鮮人や沖縄関係の慰安婦もいる。32軍司令部の公開と合わせて研究が進んでくれたら」と話した。

[ことば] 「留守名簿」 陸軍軍人外征部隊所属者の現況や留守関係事項を明らかにしたもの。1944年末に陸軍省が制定した「留守業務規定」に基づき、日本国内外に展開した各部隊が作成した。所属する人の編入年月日、本籍、留守担当者の住所・氏名・続柄、氏名、役種・兵種・官等などを記している。第32軍司令部は、44年末から45年はじめにかけて作成。現在の厚生労働省が保管していたが、2012年度から国立公文書館に順次、移管されている。