1969年7月18日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルに、沖縄を揺るがす衝撃的な記事が掲載された。

 本島中部の知花弾薬庫で、毒ガスのコンテナからガスが漏れる事故が発生し、これを吸った米兵二十数人が病院で手当てを受けた、というものだ。

 米軍は毒ガス貯蔵の事実を認め、沖縄から撤去することを明らかにした。

 だが、実際に第1次移送作業が始まったのは、事故発覚から1年半もたった71年1月13日のことである。住民5千人が避難するというものものしい移送作戦だった。

 あの日から、きょうでちょうど50年になる。

 68年2月、戦略爆撃機B52が嘉手納基地に常駐し始め、同年11月には、B52が離陸に失敗して墜落し、爆発炎上したばかりだった。

 当時、核兵器が貯蔵されていることは半ば公然の秘密だったが、毒ガス兵器の貯蔵が公式に明らかになったのは、これが初めてだった。貯蔵量1万3千トン、種類はサリン、マスタード、VXの3種。

 本紙コラムが、当時、沖縄が置かれた状況を簡潔に伝えている。「空にB52、海に原潜、陸に毒ガス-天が下にかくれ家もなし」。

 嘉手納村屋良の井戸に嘉手納基地から大量の油が流出し、井戸水が燃え上がる。那覇軍港に寄港した原潜からコバルト60が高い数値で検出される。基地公害が頻発したのもこの時期だ。

 米軍統治下にあって、沖縄の人々は「核・化学兵器」を枕にした生活を強いられていたのである。

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 当初、毒ガスは米オレゴン州に移送する予定だったが、計画は頓挫した。米国の中で国内への持ち込みに反対する運動が起きたからだ。

 県内でも「安全が保てない」と陸上移送への不安が広がり、もめにもめた。天願桟橋まで陸上輸送された毒ガスは、9月までに太平洋上のジョンストン島に移送された。

 だが、化学兵器を巡る疑惑がこれで完全に晴れたわけではない。

 ジャーナリストのジョン・ミッチェル氏は、退役兵の証言や内部文書などをもとに、ベトナム戦争で使用された軍用除草剤(枯れ葉剤)の一種「エージェント・オレンジ」が毒ガスと一緒にジョンストン島に運ばれた、と指摘している(「追跡・沖縄の枯れ葉剤」)。

 米軍はこの件について事実関係を明らかにしていない。

 沖縄に貯蔵されていた化学兵器の種類や量、保管場所等についてははっきりしない点が多く、疑惑解明が必要だ。

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 昨年12月は「コザ騒動」から50年の節目だった。

 「コザ騒動」と「毒ガス移送」が半世紀を経てなお、記憶に鮮明に刻印されているのは、基地維持がすべてに優先される社会の中で、沖縄の人々がどのような状況に置かれていたかを象徴的に示す事例だからである。

 72年の施政権返還は負担軽減をもたらさなかった。沖縄は今なお基地の重圧にあえいでおり、政府には、戦後の歴史に真摯(しんし)に向き合うことが求められている。