読谷村立読谷中学校の中庭に、「命の樹」の名で親しまれる桜の木がある。17年前に病気のため亡くなった男子生徒の生きた証しを残そうと植えられ、5メートルを超える高さまで成長。春には花が満開になって、受験勉強や部活動に打ち込む生徒たちにエールを送る。
その秘話を伝え聞いた県出身女性デュオKiroroのボーカルで同校卒業生でもある玉城千春さん(43)が昨年、在校生と一緒に考えた詞に曲を付けた。歌はこう始まる。

〈ここで 生きているよ 花を咲かせながら〉
新型コロナウイルスが猛威をふるう今、優しく伸びやかなフレーズが、当たり前の尊さを問い掛け、一歩踏み出す力をくれる。
<桜と歌、前向くチカラ>
「『命の樹』、一緒に歌ってみませんか」。昨年12月23日にあった読谷中学校での学校行事。Kiroroのボーカル玉城千春さん(43)が登場し全校生徒に呼び掛けると、ピアノの伴奏に乗せて約800人の歌声が重なり合った。
〈その場所に咲く桜の樹は しっかりと根を張り うつむいた私に語りかける 見上げてごらん 叶(かな)えてごらん〉
桜の木は、読谷中1年だった2004年11月に亡くなった松田拓哉さん(享年13歳)をしのんで翌年の春に植えられた。遺族から贈られた香典返しの使い道として、当時の校長が「松田君がいた証しを残したい」と苗木を購入。生徒から愛称を募り、一番多かった「命の樹」と名付けた。
10年夏、校舎が同村上地から座喜味へ新築・移転された際も一緒に移ってきた。時がたち教員や生徒が入れ替わる中、19年4月に赴任した宮里友昭校長が全校集会で命の樹について話題にしたことで、同校関係者は改めて、植樹の経緯や込められた思いを学んだ。
千春さんは親交がある同校社会科の宮城美律(みのり)教諭(50)から「生徒と一緒に命の樹にちなんだ歌を作れませんか」と相談され快諾。卒業間近の3年生たちが中心となって考えた詞に曲を付け、20年1月に同校で初めて披露した。
作詞に関わり、現在は高校1年の玉城小百梨さん(16)は「身近にこんな木があると知って誇りに思った」。双子の妹の小梅さん(16)は「歌を通して命や今ある時間の大切さを伝えたかった」と振り返った。
新型コロナウイルスの影響で、学校生活も大きく翻弄(ほんろう)された。予測のつかない社会状況と歌が重なる。
〈見えないものと戦って 不安だらけで それでも歩み 止めないで 辿(たど)り着いた〉
中学最後の大会を不完全燃焼で終えた野球部3年の古堅鈴之輔さん(15)とバレーボール部3年の知花璃乙さん(15)は「当たり前のことが当たり前じゃないと、松田先輩が気付かせてくれた。落ち込んだこともあったけど、頑張ろうと思えた」とうなずいた。
1998年のメジャーデビューから20年以上がたち「私はここから先、歌で何を伝えていきたいのか、答えが出せず迷い込んでいた」と吐露する千春さん自身にとっても、光差す1曲になった。「1年をかけて歌詞やメロディーを足すことで育っていった。こんな時だからこそ多くの人の心に種をまき、花も夢も咲かせる歌になってくれたらいいな」と前を見据えた。
<つながる奇跡 感謝の念>
亡くなった松田拓哉さん(享年13歳)の父哲哉さん(51)は、息子をきっかけにさまざまな出会いがあり、歌が生まれた巡り合わせに感謝する。当初は思わぬ展開に驚いたが、玉城千春さんから直接「責任と自信を持って届けられる歌ができた。子どもたちのために命の尊さを伝えていきたい」と熱い思いを告げられ「活動を全面応援する」と心を決めた。
3人きょうだいの一番上で元気な野球少年だった拓哉さんが全身の皮膚や内臓が硬くなる難病、膠原(こうげん)病の一種「強皮症」と診断されたのは小学6年の時。中学入学後は体調不良で学校を休むことが増え、1年生の11月、治療に向かった病院で容体が急変し息を引き取った。
拓哉さんの幼なじみで、中学校教員の北村勇拓さん(29)は記憶に刻まれた拓哉さんを「長身でパワーがあり、他チームから警戒される好打者だった」と懐かしむ。「前に出るタイプではないけど、輪の中に入れない子に『一緒にやろう』と声を掛ける優しい性格。野球仲間に限らず、いつも周りにたくさんの友達がいた」
松田さん宅には今でも折に触れ、拓哉さんの同級生が集まる。拓哉さんを失い、悲しみに暮れる家族を癒やしたのは、そんな友人たちや毎年満開の花を咲かせる桜の存在だったという。
読谷中の生徒たちが関わり完成した歌は〈みんな愛のキセキのかたまり〉と締めくくる。哲哉さんは「全てに不思議な縁や奇跡を感じる。拓哉がつないでくれたのかな」と語り、心に染み入るような「命の樹」のメロディーが大切に歌い継がれていくことを願う。(学芸部・新垣綾子)