広島大学の初代学長の故森戸辰男氏(1984年に死去)が保管していた1958年の沖縄を記録したカラー写真21枚が見つかりました。森戸氏本人が写真を撮影したかどうかは不明ですが写真には沖縄の当時の街並みや人々が写っており、63年前の沖縄の人たちの暮らしの様子を伺い知ることができます。専門家らは「アメリカ人が撮った沖縄に関するカラー写真は多く残っているが、日本人が記録した写真は貴重だ」と話しています。

 1958年1月、森戸氏は沖縄での教育講演会への登壇のために沖縄を訪れています。森戸氏は10日間沖縄に滞在。親交のあった故屋良朝苗氏とともに県内各地をまわりました。

 森戸氏の死去から29年がたった2013年、長年保管されていたフィルムは森戸氏の長女・檜山洋子さんから広島大の研究員、嘉陽礼文さん(浦添市出身)に寄贈されました。今回、本紙は嘉陽さんの提供を受け、県内各地の博物館や資料館、地域の人たちや関連施設の協力を得ながら撮影場所の特定を進めました。(デジタル部・比嘉桃乃)

※写真はフィルムの状態が劣化しており、セピア色で印刷されています。一部の写真では本紙で色味の補正処理をしています。

那覇市で撮影された写真

 那覇市内で撮影された写真は全部で13枚。国際通りや壺屋、当時首里にあった琉球大学のキャンパス、崇元寺や識名霊園が写っていました。場所の特定には那覇市歴史博物館や壺屋焼物博物館、新垣製陶所の新垣紀美江さん、沖縄県公文書館の協力をいただきました。

国際通りの写真。山形屋の建物も確認できる=1958年1月
金城次郎氏とみられる男性=1958年1月22日、那覇市壺屋
「新垣製陶所」とみられる工房=1958年1月、那覇市壺屋
新垣製陶所の窯とみられる=1958年1月、那覇市壺屋
那覇市内で撮影されたとみられる写真。場所の特定には至っていない=1958年1月
崇元寺。後ろに見える赤瓦屋根の建物は「琉米文化会館」=1958年1月、那覇市
琉球大学の首里キャンパス。写真に写っている建物は男子寮=1958年1月、那覇市
琉球大学教育学部の建物=1958年1月、那覇市首里
琉球大学。どこの建物かは不明=1958年1月、那覇市首里
那覇市の識名霊園。1958年1月25日に開かれた「全琉球戦没者追悼式」とみられる
那覇市の識名霊園で開かれた「全琉球戦没者追悼式」
当時の内閣総理大臣、岸信介の供花も確認できた=那覇市の識名霊園で開かれた「全琉球戦没者追悼式」
当時の琉球政府の行政主席、當間重剛の供花も確認できる(右端)=那覇市の識名霊園で開かれた「全琉球戦没者追悼式」