困難ではあっても、安全性を確保した上で、保存・公開の道を探ってもらいたい。

 首里城の地下に眠る旧日本軍第32軍司令部壕の保存・公開を話し合う有識者委員会の初会合が開かれた。首里城火災をきっかけに県民からわき上がった公開を求める声を受け、県が設置したものだ。

 32軍壕を巡っては、1960年代に那覇市や沖縄観光開発事業団が発掘調査を実施している。しかし落盤が激しく断念せざるを得なかった。90年代前半の県の調査も、坑道自体の埋没により、中枢部へは進めなかった。

 委員会に先立ち玉城デニー知事は「形式的な議論ではなく、実際にどこまでできるかを話し合ってほしい」と要望した。

 県はこれまで「崩落の可能性があり、公開は困難」という立場に立ってきたが、知事のこの言葉は、どうすれば保存・公開が可能なのかを探ってほしいという姿勢への転換と受けとれた。

 出席した地質・地盤工学の専門家からも「補強」や「周辺の地質の把握」「残したい形態」によって対応は可能だとの意見が出ている。

 戦争遺跡は沖縄戦の「生き証人」ともいえる存在である。「平和学習の場として公開に取り組んでほしい」との声は強い。

 最新の土木技術を駆使して、知恵を絞り、前へ進む時である。

 来年は復帰50年にあたる。このタイミングを逃すことなく、コロナ禍からの観光再生とも結びつけ、公開への道筋を示してもらいたい。

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 32軍壕の実態解明に向けて県は、国内外の関連資料の収集、県民の証言、手記の提供呼び掛けなどの作業も並行して進めている。「壕における戦没者の実態など史実の解明に取り組みたい」との考えだ。

 壕の総延長は約千メートル、深い所では地下30メートルにもなる。当時、壕内には、千人余りの将兵や県出身の軍属・学徒隊、数十人の女性たちがいたという。

 最新の研究で、司令部に「特殊軍属」として女性たちが動員されていたことも明らかになっている。沖縄戦研究者は「特殊軍属」について「慰安婦なのでは」と指摘する。

 県が設置した32軍壕の説明板から、原案にあった「慰安婦」などの文言が削除され反発を招いたのは2012年のことである。

 保存・公開にあたっては、県内外に眠る資料を発掘し、新たな証言も掘り起こし、事実を正確に伝えることが大切だ。

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 沖縄戦では司令部壕が置かれたことで、首里城とその一帯が、米軍の攻撃目標になった。

 首里城周辺には国宝級の文化遺産がたくさんあったが、一日数千発もの砲爆弾によって跡形もなく破壊された。32軍司令部が南部撤退を決断したことで、住民の犠牲は急激に増えた。

 32軍壕は、沖縄戦の実相を伝える重要な戦争遺跡だ。首里城との一体的整備によって、「平和」と「文化」を考える新たな場が形成されることになる。