1958年当時の沖縄を写したカラー写真21枚がこのほど見つかった。写真を保管していたのは当時、広島大学で学長を務めていた故森戸辰男さん(1984年に死去)。写真の撮影者は不明。写真は全てカラーで、専門家らは「アメリカ人が撮った沖縄に関するカラー写真は多く残っているが、日本人が記録した写真は貴重だ」と話している。(デジタル部・比嘉桃乃)

1958年1月の国際通りの様子=那覇市(一部補正を加えています、嘉陽礼文氏提供)

 写真には那覇から本島北部の様子が撮影されており、国際通りの写真には55年に移転、開業したばかりのデパート「山形屋」も確認できた。

 当時の記事によると、森戸さんは沖縄での教育講演会のために58年1月17日から10日間滞在。当時、沖縄教職員会の会長を務めていた故屋良朝苗さんと県内各地を歩いており、屋良さんが記録した「屋良朝苗日誌」にもその記述が確認できる。森戸さんが保管していた写真はその後、森戸さんの長女で広島市在住の檜山洋子さん(85)から県出身で広島大研究員の嘉陽礼文さん(42)に寄贈された。

 当時、広島大学の学長を務めていた故森戸辰男さんが保管していた沖縄に関するカラー写真21枚の中には、沖縄で初めて人間国宝に認定された故金城次郎さんとみられる男性や沖縄の子どもたち、離島と本島をつなぐ渡し船の様子なども収められていた。


 森戸さんの長女、檜山洋子さん(85)から写真を譲り受けた広島大の研究員、嘉陽礼文さん(42)が「沖縄の人にも写真を見てもらいたい」と本紙に提供。本紙が県内各地の博物館や資料館、関連施設を巡り、撮影場所を特定した。


 各地の博物館の担当者からは「当時は日本人もカラー写真を撮影しているが、資料として残っているのは少ない」「今では残っていない建物や当時の服装などがよく分かる資料だ」と写真の価値を評価する声が上がった。


 森戸さんの長女の檜山さんによると、家族で住んでいた広島の官舎に屋良さんはよく訪れていたという。檜山さんは森戸さんの来県について「戦後の日本が混乱する中、父は教育から立て直していかないといけない、教育で平和をつくっていくという考えを持って動いていた。屋良さんとの交流を深める中で、沖縄をよくしたいという思いに胸を打たれたのでは」と語った。

 ※写真はフィルムの状態が劣化しており、セピア色で印刷されています。一部の写真では本紙で色味の補正処理をしています。