大注目の沖縄アーティストを沖縄カルチャーの広告塔 幸田悟がインタビューで深掘りする連載企画「幸田悟の沖縄音楽旅行+プラス」、第二弾は、憧れのバンドで念願のメジャー・デビューを果たした、沖縄県出身のシンガー 伊舎堂さくらのスペシャル・インタビューをお届けします!!

聖飢魔Ⅱの創始者、地獄の大魔王・ダミアン浜田陛下。聖飢魔Ⅱが地球デビュー35周年を迎えた魔暦22年(2020年)、聖飢魔Ⅱが果たした人類への悪魔による洗脳をより強固なものにすべく、ダミアン浜田陛下が再び人間界に顕現。女性シンガー+プログレッシヴ・ロック・バンド「金属恵比須」のメンバーの選ばれし6人を洗脳、悪魔の僕(シモベ)として「改臟人間」にし、ヘヴィメタルバンド「Damian Hamada’s Creatures(ダミアンハマダズクリーチャーズ)」を作り上げ、ダミアン浜田陛下自らが全曲作詞作曲した悪魔のバイブル『旧約魔界聖書 第Ⅰ章』を2020年11月25日にリリースした。同時にスタートした全曲配信では、「Amazonデジタルミュージック」、「iTunes」など各配信サービスにおいて、ヘヴィメタル・ハードロックランキングで1位を独占した。この勢いに乗って12月23日には、『旧約魔界聖書 第Ⅱ章』を立て続けにリリース。このヘヴィメタル・ハードロックシーン大注目のバンド「Damian Hamada’s Creatures」のボーカルを務めるのが沖縄県出身のシンガー、伊舎堂さくらだ。幼少の頃から沖縄音楽シーンで活躍してきた彼女が思い描く成功へのロードマップ、その足跡と未来にフォーカスした「幸田悟の沖縄音楽旅行+プラス」ならではのロング・インタビューです。どうぞ、お楽しみください。
◆5歳で見たロックフェス
ーー音楽に触れたキッカケを教えてください
伊舎堂さくら 3歳から、基地内の居住者で構成される教会の聖歌隊(当時在籍約50名中、日本人はひとり)で歌い始めたんです。いま思うと、この環境がとても良かったと思います。私は、沖縄市出身で夏には毎年オキナワン・ロック・バンドの登竜門であるロックフェス、「ピースフルラブロックフェスティバル」が開催されてます。そのフェスを5歳で見て必ずこのステージに立つと決意しました。
ーー5歳で「ピースフルラブロックフェスティバル」を目指していたという事実は、とても衝撃です。何にビビっときたのですか?
伊舎堂 そのときのオオトリで出てたバンドがオキナワンロック・レジェンドの「紫」でした。ドラムを叩きながらディープ・パープルの「ハイウェイ・スター」を歌ってるドラマーのチビ(宮永英一)さんに釘付けになりました。それがキッカケで歌ってドラムが叩けるミュージシャンを目指すようになったんです。それで6歳からドラムを習い始めました。先生は、ディアマンテスの當間嗣篤さん。「さくらちゃんはドラムを叩きながら歌うのがうまい」って褒めていただいて嬉しかったです。「フレーズを間違えた時にも顔に出すな。お客さんに悟られたら負けだよ」というアドバイスは、その後の私のステージに活かされてます。
ーー10歳のころ、聖飢魔Ⅱの音楽と出会います
伊舎堂 CD店で聖飢魔Ⅱのミサ(ライブ)の映像を見て衝撃を受け、同年、東京まで母に連れて行ってもらい、憧れのデーモン閣下が出演する「CLASSIC ROCK JAM(70’s 80’s洋楽ロックカヴァーイベント)」に行き信者に。クラシック・ロックにもより一層のめり込むこととなりました。いま悪魔の僕(しもべ)ができているということを、このときの私に教えてあげたいですね(笑)。
ーーそして13歳で「第30回ピースフルラブロックフェスティバル」にみごと史上最年少出場。僕は、その時司会で参加していたのでよく覚えてます
伊舎堂 5歳から毎年観に行っていた憧れのロック・フェス、このステージにやっと立てたと思いました。ステージで受けるお客さんからの声援、熱気はほんとに凄かったです。
ーーさらに14歳で「X FACTOR OKINAWA JAPAN」に出場、審査員の度肝を抜いた迫力のパフォーマンスでファイナリスト・トップ6に入賞しました
伊舎堂 ディープ・パープル、エーシー・ディーシー、ジャーニーなどの曲を歌い、審査員に「プリンセス・オブ・ロック」と評価していただきました。この場でクラシック・ロックに徹してパフォーマンスしたことが、結果的に今回のプロジェクトにも繋がっているのでほんとに良かったと思います。