◆不安と焦りと運命のオファー

ーーテレビ東京「THE カラオケ★バトル」に沖縄代表として出演、日本テレビ全日本歌唱力選手権「歌唱王 2015」では応募総数24,525件から2位に選ばれるなど、歌うま系にもチャレンジしていきますよね

伊舎堂 実はこの時期、とても悩んだ時期でもありました。ありがたいことに、私は幼少の頃からいろんなステージやメディアに出演する機会をいただいてました。いま考えると、「幼い子が60年~80年代のクラシック・ロックをパフォーマンスしている」という、年齢によるアドバンテージがあったからだと思うんです。だからローティーンのころまでは、迷うこと無く順調に歩んで来れました。でも、20歳が近づけば近づく程、もどかしさと将来に対する不安や焦りのような感情が芽生えたんです。ロックを歌い続けるべきかどうかも迷いました。歌を職業にしていく為にはポップスを歌ったほうがいいのかな?とも考えました。それでチャンスを掴むために「歌うま」系のテレビ番組にもチャレンジすることにしたんです。でも結局、そこでもディープ・パープルの「バーン」を歌いましたけど(笑)。出演後、SNSのフォローワーも一気に増えたし、東京でのライブの動員にもつながりました。テレビメディアの影響力は凄いなと実感しました。しかし、私が思い描くようなチャンスとはほど遠い、そんな状態が続いていたんです。

 

ーー音楽シーンを駆け抜けた10代、そして生まれた将来に対する不安……。もどかしい日々が続きましたが、その状況が一変するできごとが起こります

伊舎堂 「X FACTOR OKINAWA JAPAN」のスタッフをしてた人を通じてソニー・ミュージックの人から連絡があり、ダミアン浜田陛下プロデュースのバンド「Damian Hamada’s Creatures」(以下「D.H.C.」)のボーカルを依頼されたんです! まさに晴天の霹靂、黒い天使が舞い降りた瞬間でした(笑)。幼い頃から聖飢魔Ⅱの信者で、その聖飢魔Ⅱの創始者のダミアン浜田陛下のバンドのボーカル……。依頼のメールを大学の授業中に受信したんですが、思わずその場で号泣しました。ロックを歌い続けて、ほんとに良かったと思えた瞬間でした。

ーーそしてプロジェクトが動き始めます。レコーディングはいかがでしたか?

伊舎堂 初めてダミアン浜田陛下にお会いするのと、初めての本格的なレコーディングということで、これまで体験したこと無いくらい緊張しました。さらに、2週間で11曲の収録というタイトなスケジュール、プレッシャーに押しつぶされそうでした。最初に収録した楽曲は、ミュージック・ビデオにもなった「Babel」なんですが、もうダメ出しの嵐。この曲だけでも軽く100回以上歌いました。レコーディングが進行していく中、リード曲の「Babel」だけはレコーディング期間中に何度もトライしました。全曲収録を終えた後、最後にもう一度歌い、そのテイクが採用になり、試練のレコーディングが終了しました。ロックに出逢ってからこれまでのことが、この2週間のスタジオ・ワークによって、報われた気がします。それだけ濃い時間でした。私自身、これでもかというくらい歌詞を咀嚼して研究してアプローチしたんですが、それに対しても容赦ないダメ出しの連続……。でもそれが陛下の愛なんです。「どんなにキツくても、辛くても、与えられたハードルをひとつひとつ乗り越え、やるしかない! だって、私はこの世界を目指してきたんだから」。そう覚悟を決めた時、ようやく「D.H.C.」の一員になれた気がしました。

 

ーーダミアン浜田陛下から頂いた印象に残っている言葉は?

伊舎堂 レコーディングでは、ダミアン浜田陛下の曲をしっかり表現し切れているか、ずっと不安だったんですが、レコーディング終了後「ダミアン浜田陛下の歌を歌ってるんじゃない、伊舎堂さくらの歌になっている」って言っていただいたんです。そして、レコーディング後「今後完成するであろう私の曲は、伊舎堂さくらにずっと歌ってもらいたいと思ってます」とメールをいただきました。もう号泣です(話しながらほんとに号泣)。