「西原町我謝に空手で有名な、がーじゃのタンメーがいる」と父に勧められたのがきっかけで、16歳で祖堅方範先生の下に入門しました。それから10年たって型の中の崩し、さばき、裏手(うらでぃー)を教わるようになった頃、「空手は型の中に答えがある」という言葉を先生は話されました。