羽地内海まで見渡せる沖縄県大宜味村上原の小高い丘で、69本の桜が満開を迎えた。元護郷隊員の瑞慶山良光さん(92)が20年以上前から、沖縄戦で亡くなった戦友らのため、植えてきた桜の木々。毎年花が咲くと一人丘に登り、空を見上げて思う。「彼らも風になって桜を見に来ているはず」。(北部報道部・西倉悟朗)

元護郷隊員の瑞慶山良光さんが戦友を思って植えた桜が満開を迎えた=3日、大宜味村上原

 瑞慶山さんは戦時中、陸軍中野学校出身者が本島北部の少年らを中心に編成したゲリラ戦部隊「護郷隊」で、恩納岳に配置された第二護郷隊の隊員だった。

 1945年4月7日、米軍の戦車に爆弾を抱えて飛び込む「斬り込み隊」に選ばれた。家族に渡す形見として、爪や髪の毛を箱に詰め、友人には「きちんと家族に届けてやるから、安心して行ってこい」と声を掛けられた。だが作戦は中止に。「本当はそこで死んでいた。戦場では何度もそう思う場面があった」

 4月13日未明、金武村(当時)にあった米軍司令部を目指して恩納岳を出発した後、米軍が投げた手りゅう弾の破片が右の頬に直撃し、肉は裂け、歯も4本折れる大けがを負った。

 その後も野戦病院で、米軍の迫撃砲が飛び交う中、死体の埋葬作業に当たった。隊の解散後、一人で塩屋湾を渡って親と再会した時には瀕死(ひんし)の状態だった。

 戦後も負傷したことへの補償は何もないまま、長い間戦争の心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだ。実体験を話しても周囲には「夢の中の話をしている」と相手にされず、一人で戦争の記憶を抱え込んだ。

 52歳のころから、キリスト教の教会に通うようになったことで「賛美歌を歌って心が救われた」と振り返る。

 「恩納岳で負傷して動けなくなった仲間を置き去りにしたことがずっと心残りだった」と、70歳のころから戦友を思いながら、自宅裏の丘の斜面に桜を植えてきた。

 今では、第二護郷隊で犠牲になった人数分の69本の桜が毎年この時期になると咲き誇る。「護郷隊の遺族を招待し、花見をしながら平和を願う『反戦遺族会』を開きたい」と語る瑞慶山さんは、日々の手入れを欠かさない。

 「戦時中、生まれてこなければよかったと思うこともあった。だがきれいに咲いている桜を見ると生きていてよかったと、今は思う。亡くなった少年兵も風になって桜を見に来ているはず」