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突然の大津波に反応できず固まる 激震で悲鳴が聞こえパニックに 災害に遭った瞬間の心理とは

2021年3月8日 10:58

[沖縄の防災・共に考える](58)※この記事は2018年11月11日付の沖縄タイムス紙面に掲載されました。人物の年齢や説明など、内容は掲載当時のものです。

 地震や津波などの非常時には、避難するタイミングを的確に捉えることが生死を分ける。災害に襲われた人たちは情報が遮断される特殊な状況下で、何を考え行動を決めたのか。東日本大震災、熊本地震の被災者に、当時の心の動きを語ってもらった。(社会部・宮里美紀)

とっさの反応できず
東日本大震災 草島さんの経験

家々が崩れたがれきの中を調べる人たち=2011年04月、石巻市内(吉川毅撮影)



 2011年3月11日。家庭教師の草島真人さん(59)=宮城県=が住んでいた同県石巻市は、震度6強の地震と最大8・6メートル以上の津波に襲われた。

 揺れを感じた時は石巻専修大学周辺にいた。脳裏をかすめたのは、約40年周期で発生するといわれていた宮城県沖地震。1978年の同地震でも被災していたため、信号や電柱が傾いた町の様子などを見て「あの時と全く一緒の光景だ。やはり宮城県沖地震が起こったんだ」と確信した。

 避難所に着くと人々が家に帰りだしており、草島さんも車で自宅に戻ることを決めた。道中、10軒に1軒の頻度で荷物を積んでいる人がいて、「もうすぐ日も暮れるし、やっぱり今が荷物を取るタイミングだ」と思った。

 自宅は海のそばで、約3メートルの堤防から数十メートルしか離れていない。でも、津波はあまり心配しなかった。

 石巻市は、リアス海岸を持つ地域は津波による被害が繰り返されているが、住んでいた雲雀野町はその地域外。当時のハザードマップでも同町で津波は最大30センチの予想だった。津波警報が出ても、被害が出たことはない。「警報が出てもあの地域は大変だ、と人ごとのように思っていた」

 自宅付近の駐車場に着いた時。ふと見上げると、防波堤の上に海が見えた。

 「死ぬまであと何秒かはある」。ベストを尽くそうと、車を全速力でバックさせた。流れ込む水との距離が開いてからは車を切り返して道を戻り、人を見ると「津波だ、逃げろ」と叫んだ。しかし多くの人がとっさの出来事に反応できず、固まったまま動かなかったという。

 逃げた先の日和山でも、渋滞している車に向かって避難を呼び掛けたが「みんな周りを見渡して、動かなかった」。車を乗り捨て、走って山に登り、難を逃れた。

 当時を振り返り、「想定外の事態に正しい判断をするためには、防災訓練が大事」と考えている。

 
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