76年前の沖縄戦中に日本軍が使っていた沖縄県糸満市の陣地壕の跡で2月末から3月初めにかけ、戦争で亡くなった人とみられる8体の遺骨が見つかった。周辺には軍靴やボタンなどの遺留品があり、5体が日本兵と推測される一方、大きさや歯の形状などから子ども2体と高齢者らしき遺骨もあった。収集したボランティアは摩文仁の戦没者遺骨収集情報センターに納骨後、厚生労働省にDNA鑑定を申し入れ、鑑定を希望する遺族の申請支援に取り組む考えだ。(学芸部・新垣綾子)

沖縄戦で亡くなった人とみられる8体の遺骨を並べ、骨に付いた土を落とす浜田哲二さんと律子さん夫妻=3日、糸満市内

遺骨の周辺から見つかった軍靴や茶わんなどの遺留品

大人と子ども2人の上腕骨を手にし、大きさを説明する浜田哲二さんと律子さん夫妻

銀歯の治療痕がある高齢者らしき遺骨

8体の遺骨を並べ、骨の土を落とす浜田哲二さんと律子さん夫妻

砲兵隊が標的を定める際に使っていたとみられる三角定規を手に、遺留品の状況を説明する浜田哲二さん

沖縄戦で亡くなった人とみられる8体の遺骨を並べ、骨に付いた土を落とす浜田哲二さんと律子さん夫妻=3日、糸満市内 遺骨の周辺から見つかった軍靴や茶わんなどの遺留品 大人と子ども2人の上腕骨を手にし、大きさを説明する浜田哲二さんと律子さん夫妻 銀歯の治療痕がある高齢者らしき遺骨 8体の遺骨を並べ、骨の土を落とす浜田哲二さんと律子さん夫妻 砲兵隊が標的を定める際に使っていたとみられる三角定規を手に、遺留品の状況を説明する浜田哲二さん

 遺骨を掘り出したのは、約20年にわたり沖縄に足を運び収集活動を続ける青森県の報道写真家浜田哲二さん(58)、律子さん(56)夫妻と社会人や学生のボランティア。壕は海岸線を望む丘陵地の中腹にあり、戦時中に日本軍の第24師団歩兵第32連隊第1大隊が使用していた。

 8体の遺骨は入り口から水平、下方に計20メートルほど進んだ場所にあった。遺骨の一部に火で焼かれたような跡があるが、近くで手りゅう弾や砲弾の破片はほとんど見つかっておらず、浜田さんは「その場で攻撃されたのではなく、埋葬されたのではないか」と言う。

 民間人の可能性がある遺骨は3体。うち1体は他の大人の骨より小柄で金・銀歯の治療痕やすり減った歯の状況から高齢者と考えられ、子どもの1体は歯が生えそろっていないため乳幼児とみられる。

 「中川」と刻まれた万年筆や「サワダ」と記された将校用飯ごう、砲兵隊が標的を定める際に使ったと推測される三角定規など、多数の遺留品も見つかった。

 浜田さん夫妻は同大隊の生き残りだった伊東孝一・元大隊長(昨年99歳で死去)と交流があった。伊東さんが残した戦没者記録などによると、この壕がある地区で亡くなった所属兵は35人で、うち沖縄出身者は4人。「子どもだけでなく、大人の遺骨も沖縄の人の可能性がある。一日も早く遺族にお返ししたい」とDNA鑑定による戦没者特定に望みをつなぐ。

 「君の足元にも骨は埋まっている。心あるならば一片でも掘り出してあげたらどうだ」。11年前まで全国紙記者だった浜田さんは、長年遺骨収集に携わる那覇市の男性を取材した際、そう諭されたのを機に継続して沖縄に通っている。

 那覇市の県庁前では、名護市辺野古の新基地建設を巡る本島南部からの土砂採取に反対するハンガーストライキが続いている。「76年たっても、これだけの遺骨が見つかる事実は重く、まだ手つかずの壕もある。遺骨が混ざったままの土砂を使って基地を造るのは、故人や遺族の思いを考えるとしのびない」と話した。