沖縄と原発

何度も浮上してきた沖縄での原発計画 断念の裏に米財政

2021年3月7日 07:00

[沖縄と原発](1)

米政府は1960年、金武に原発を建設する詳細な計画を定めていた

 原発は人ごとではなかった。全国で唯一、地域の電力会社が原発を持たない沖縄。しかし、計画は米軍占領下の1950年代から何度も浮上してきた。

 米軍による土地の強制接収を巡り、プライス下院議員らの調査団が56年に発表した「プライス勧告」。土地の永続使用を容認し、島ぐるみ闘争に火をつけたことで知られる。

 実はその一節に、唐突な提案があった。「実質的に戦争状態にある沖縄のような地域で核の平和利用が実現すれば、劇的なインパクトがある」。米国は反核感情に対するプロパガンダとして原発導入を進めていた。

 57年にはナッシュ大統領特別補佐官がアイゼンハワー大統領に報告書を提出。「軍事と経済両面で利点がある」と導入を促した。

 今回、本紙報道で明らかになった米原子力委員会の報告書は、その後の60年にまとめられた。金武村(当時)に原子炉2基を建設する詳細な計画を定める。

 「初めて見た」と話すのは、米国の沖縄政策を研究してきた琉球大学名誉教授の我部政明氏(国際政治学)。計画が結局実現しなかった経緯に関心を寄せる。「沖縄のためにそんな大金は出せなかったのだろう」

 米政府が金武の予定地に原発ではなく石油火力発電所の建設を決め、入札したのは62年。その間、ケネディ政権が誕生し、沖縄予算を抑えるため日本政府の援助受け入れを決めていた。

 原発は当時、初期費用はかさむものの、維持費が安いとされていた。しかし、米政府は選択しなかった。「長期的視点がない統治だったことがここでも見て取れる」と我部氏は言う。

 米政府が原発導入を諦め、沖縄を返還した72年前後も、日本の行政は計画を温め続けた。琉球政府が70年に策定した長期経済開発計画には「79年度には、原子力発電が開始されるものとする」と明記されている。

 当時進められた金武湾の石油備蓄基地(CTS)整備でも、当初は原発が構想されていた。立ち消えになった理由は不明だが、地元の反対闘争もあって1千万坪とされた大規模埋め立てが64万坪に縮小された。

 反CTS闘争を研究する東京外国語大学講師の上原こずえ氏(社会学・沖縄現代史)は「CTSはマジムン(魔物)と呼ばれていた。地元は制御できず、生活をのみこみ、ひとたび事故が起きれば地域全体を汚染してしまう」と語る。

 CTSは残った。原発というマジムンは沖縄に居着くことはなかった。(ジョン・ミッチェル特約通信員、編集委員・阿部岳

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 東京電力福島第1原発事故から10年。これまであまり関心を集めてこなかった沖縄と原発の関係を考える。

 <沖縄と原発(2)「プロバガンダ」に続く>

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