(おことわり)2015年8月23日の沖縄タイムス紙面に掲載された記事を再掲します。年齢や肩書は全て当時のものです。【金城雅春さんインタビュー詳報】

[沖縄を語る 次代への伝言](25)
金城雅春さん(61)沖縄愛楽園自治会長

 「ハンセン病になっているみたい」。高校2年の夏休み。帰省した石垣島の実家で、軽い気持ちで家族に話した。母が、何も言わずに泣いていた。
 異変に気づいたのは夏休み前。左足の太ももに湿疹が出た。皮膚科でハンセン病と診断されたが、ぴんとこない。薬を飲むと症状は消えた。だから、母の涙の意味が分からなかった。
 後に、かつてやんばるの住民がハンセン病療養所の建設に激しく抗議した「嵐山事件」で、母が反対デモに参加していたことを知った。「皮肉ですよね」。一点を見詰め、言葉を紡ぐ。

 25歳で国立ハンセン病療養所沖縄愛楽園に入所。20代は、同世代の仲間と病棟で酒盛りしては看護師に怒られた。「園で一番怖がられている。職員に物言いばかりするから」とおどけてみせる。だが、入所した最初の1週間は、手指や足を失った人々に衝撃を受けた。初めて病と対峙(たいじ)し、食事が喉を通らなかった。
 園で先輩方と話すうち、ハンセン病の歴史が見えてきた。沖縄戦中、素手で防空壕を掘る過酷な作業に駆り出され、痛めつけられた患者たち。園内の書庫で書物を読みあさり、国の隔離政策、徹底的な差別の現状を学びだした。
 感染力が弱く、通院で完治するにもかかわらず、国の強制隔離政策は90年もの間、患者を塀の中に閉じ込めた。強制隔離を定めた「らい予防法」が廃止されたのは1996年。つい19年前だ。学び、知るほどに疑問や憤りが湧いた。

 予防法廃止後も退所者に経済補償はなく、園を出る人はほとんどいない。「なぜ状況が変わらないのか」。全国の回復者が、国の責任を問うハンセン病国家賠償訴訟を起こした。愛楽園原告団長として、一人一人を説得。国を訴えれば追い出される、と尻込みした人々が勇気を出した。
 2001年5月11日。熊本地裁が出した国の違法性を認める判決に、初めて自分たちで「人権」を勝ち取ったことを実感した。勝訴後、一気に約80人が園を退所、...