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避難先の沖縄で続けたフィギュアスケート 地元の応援で高校総体へ出場「命に感謝」

2021年3月9日 08:55

[10年 東日本大震災 -沖縄と、被災地と-]

第92回日本学生氷上競技選手権大会で演技を披露する花城桜子さん=2020年1月、北海道釧路市・日本製紙アイスアリーナ(花城桜子さん提供)

 中学1年の時、地元の仙台で被災した花城桜子さん(22)が今月、慶応義塾大学を卒業する。被災後に母の故郷・沖縄に移住。上山中、那覇国際高校に通いながら、仙台で続けていたフィギュアスケートを県内で再開し、全国高校総体にも出場した。大学でもスケートを続けながら法学部に通い、人権について学んできたという花城さん。「あっという間の10年。命があることに感謝して生きていきたい」。社会人として、新たな一歩を踏み出す。(社会部・比嘉大熙)

 仙台市の自宅は震災で全壊。外出中だった母と連絡を取った後、吹雪の中、1人で避難所へ向かった。熱中していたフィギュアスケートも中断し、沖縄に移住。南風原町のリンクでスケートを再開したが、滑っては自分でビデオを見て動きをチェックするなど、1人で練習に励む日々が続いた。

 その後、宮城県人会長の協力もあり、全国高校総体への出場が実現。遠征費は教師らの寄付で工面し「たくさんの人に助けられた。自分が苦労したとは思っていない」。周囲への感謝は今も心に刻まれている。

 大学でも4年間、スケートを続けた。整った環境で思い切り滑れるのがうれしくて、休みを惜しんで練習に明け暮れ「沖縄にも仙台にも、あまり帰れなかった」と振り返る。人権に関わる法律を学びたいと法学部に進学、災害復興に関する授業を積極的に取った。「興味のある授業を選んでいたら、無意識に災害関連の授業が多くなった。自分の中に、今もあの震災が染み付いているなと感じる」

 今年2月に福島と宮城で最大震度6強を記録した地震の際は、自身が住む横浜でも震度2を観測した。急いで食器を棚から降ろし、玄関を開けた。自分でも驚くほど冷静に対応したという。恐怖や緊張は10年前と変わらず「揺れが収まった後、疲れがドッと押し寄せた」。良くも悪くも、過酷な体験は花城さんの一部になった。

 それでも「個人としてこれからも、防災に関する発信や活動をしていきたい」との思いは強い。4月からは一般企業で働く。直接震災に関わる仕事ではないが「震災でいろんな経験をした。命があることに感謝し、これからの人生を歩みたい」と前を向いた。

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