沖縄タイムス+プラス ニュース

「希望の光」になろうと快進撃を続けたベガルタ仙台 赤嶺真吾が今も届ける“頑張る姿”

2021年3月11日 13:14

 2011年3月11日午後2時46分、突然の激しい揺れは、新天地ベガルタ仙台で新たなシーズンを迎えた直後に襲ってきた。サッカーでプロ6年目を迎えていた赤嶺真吾(現FC琉球)。翌日にJ1リーグ第2節を控え、チームメートと遅い昼食を取っていた時だった。(溝井洋輔)

震災当時を振り返るFC琉球の赤嶺真吾=西崎陸上競技場

ベガルタ仙台のエースとして、被災地の「希望の光」になろうと快進撃を続けた2012年シーズンの赤嶺真吾=仙台市内((c)VEGALTA SENDAI)

震災当時を振り返るFC琉球の赤嶺真吾=西崎陸上競技場 ベガルタ仙台のエースとして、被災地の「希望の光」になろうと快進撃を続けた2012年シーズンの赤嶺真吾=仙台市内((c)VEGALTA SENDAI)

 震度6強を観測した仙台市のそば屋。騒然となる店内から表に飛び出すと、道路は波打ち、電柱は倒れ、給油所の看板は落下していた。「言葉で表現するのは難しいくらい、ひどい状況だった」。あの光景は今も脳裏に焼き付いている。

 すぐに自宅に戻った。食器棚やたんすは全て倒れていた。妻と幼い2人の子が岡山県の妻の実家に帰省していたのが救いだった。

 チームは一時解散を余儀なくされ、赤嶺は沖縄に戻った。仙台は練習できる状況でなく、しばらくして千葉や埼玉など関東地方でキャンプを張った。厳しい状況に置かれながら4月23日のリーグ再開に備えた。

 「手倉森誠監督を中心に東北、宮城の『希望の光』になるという目標をしっかり掲げてやっていた」

 再開試合の敵地川崎フロンターレ戦で逆転勝ちを収め、開幕から12試合負けなし(6勝6分け)。J1記録で一時は首位に立った。終盤に失速したが過去最高の4位でリーグを終え、赤嶺は14得点でエースストライカーの存在感を示した。

 被災地の人たち、サポーターを元気づけようとの思いは、さらに翌年の快進撃につながった。赤嶺は15得点をマーク、チームは昨年の記録を塗り替える2位となり、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)出場権を初めてつかみ取った。

 「その時のホームの雰囲気はすごかった。一体感があり、力が発揮されたと思う」。この2年間の好成績は今もチーム記録として残る。赤嶺は4年半在籍した仙台時代を「成長につながった」と大切なキャリアに位置付ける。

 12年と14年は仙台で日本プロサッカー選手会主催のチャリティーサッカーに出場した。東北の出身者やチームの選手でつくる「仙台ドリームス」の一員。練習から熱が入り、鹿島アントラーズの小笠原満男さんを中心に真剣勝負を演じた。

 その後ガンバ大阪、ファジアーノ岡山とチームを渡り歩いた。18年3月11日にはJ2リーグ第3節の大分トリニータ戦で決勝のボレーシュートを決めた。意識していなかったが、得点した時刻は午後2時46分で大震災発生時と同じだったため、「奇跡」と報道された。

 毎年3月11日が近づくと仙台や被災地のことを思う。未曽有の大災害から10年。道路や住宅はだいぶ整ってきたが、亡くなった人は多く、遺族らの悲しみは癒えない。そんな気持ちに思いを至らせる。

 「仙台を離れてチームを渡り歩いてきたが、試合に出て活躍し、結果を残すことで、頑張っているな、と見てもらえると思う」。目の前の試合にひたむきに取り組む姿が、仙台時代に関わった人に届けばとの気持ちを込めてピッチに立つ。

東日本大震災10年 記事まとめ


野球・ゴルフ・サッカー・バスケ・・・プロからアマまでスポーツ全記事、読み放題! >>「沖縄タイムス+プラス スポーツ」

連載・コラム
記事を検索