東日本大震災から10年を迎えた東京電力福島第1原発事故の現場を、本紙記者が歩いた。

福島第1原発周辺には放射線量が高い帰還困難区域が残り、土地と暮らしがフェンスで封鎖されている=11日、福島県大熊町

 氷点下に冷え込んだ11日午前2時すぎ。福島県浪江町の鈴木新聞舗では新聞約550部の仕分けが始まっていた。避難指示が一部解除された4年前、9部から配達を再開した。比較すればだいぶ増えたが、住民の帰還は伸び悩んでいる。

 新聞と町を残したい、と赤字経営を続ける所長の鈴木裕次郎さん(37)は「もう10年。今、戻っていない住民は戻らないと思う」と話す。放射性物質による汚染が地域を苦しめ続ける。

 鈴木さんたちが配った新聞の一つ、「福島民友」にはこんな記事があった。「東電社長 3・11取材拒否」。事故の加害者である東電の社長が10年で初めて福島に来ず、取材も受けないのだという。

 午前9時半、北隣の南相馬市にある寺、原町別院を訪ねた。震災翌年から、発生時刻に合わせて鐘をつくことを全国に呼び掛けている。「勿忘(わすれな)の鐘」と名付けたのは僧侶の木ノ下秀俊さん(58)。西表島で訪問した「忘勿(わするな)石」から取った。

 戦争中、軍に邪魔者扱いされた波照間島の住民は西表島に避難させられ、マラリアに倒れた。震災後は国から放射線量の上昇を伝えられなった住民多数が避難もできずに無用の被ばくをしてしまった。「国は住民を守らない。沖縄戦で勉強したはずだったのに」と木ノ下さんはつぶやいた。

 午後1時半、浪江町の公共施設で町主催の追悼式が始まった。津波で両親を亡くした町遺族会会長の川口登さん(71)が休憩時間に取材に応じてくれた。「原発事故で避難しなければ、すぐ捜索して助けられた命があったかもしれない。東電は加害者の認識がないのか」。社長が福島に足を運ばなかったことを怒った。

 続いて開かれた慰霊祭。地元の古刹(こさつ)、大聖寺の住職青田敦郎さん(60)は「東電の責任断罪」「為政者の糾弾」を求める祭文を読み上げた。

 午後2時46分、黙とう。務めを終えた青田さんは「怒りが収まってきたころに東電や政府がまたおかしなことを繰り返す。無念が重なっていく。疲れますね」と言った。沖縄の基地問題でも全く同じことが起きています、と伝えた。(編集委員・阿部岳