1972年に日本復帰するまでの沖縄で、精神障がい者を小屋などに合法的に閉じ込めた私宅監置制度。隔離の矛先は、制度に基づいた精神障がいだけでなく、身体に障がいがある人たちにも向けられていた。今、沖縄本島南部の障害者支援施設で暮らす和美さん(58)。生まれつき全盲の和美さんは8歳ごろまで、自宅の物置が居場所だった。「一人で寂しかったよ。ご飯もくれんかったんだよ」。半世紀を経てもなお、閉ざされた世界の孤独な記憶は消えない。「私宅監置」をテーマにした映画「夜明け前のうた 消された沖縄の障害者」が3月20日、東京・新宿のケイズシネマで封切りされる。

和美さん(左)が入所する施設に面会に来た盲学校時代の恩師、運天恒子さん。出会いから半世紀、親子のように互いを思い合う=2018年3月、本島南部(映画「夜明け前のうた」より)

 

■「悪い言葉」で母を怒鳴る父

 和美さんによると、62年生まれの和美さんは幼少期、母屋とは離れた物置小屋に放置され、食事も満足にとれない日々を送った。父の考えだった。

 脳裏に刻まれているのは、酒に酔った父が「悪い言葉」で母を怒鳴り、手を上げているような物音と、断片的な場面。「お母さんに『ひもじい』と言ったら、お母さんは『食べ物、探してこようね』と答えたっきり、戻ってこないことがあった。お父さんが怖かったんだはずよ」

 複数の兄弟のうち、弱視だったという3番目の兄は沖縄盲学校に通っていた。その兄から「妹を助けてほしい」と相談を受け、和美さんを救い出したのは盲学校の教員だった運天恒子さん(89)=浦添市=だ。初めて目にした8歳ごろの和美さんを「両手のひらに乗るぐらい、痩せて小さかった」と表現する。「2畳間くらいの狭い納屋」で一日中過ごしていたため歩くことはできず、排せつも小屋の中で。長く風呂に入っておらず、髪も爪も伸び放題だった。

■先生の来る日「待ち遠しかった」

 自宅の物置小屋で1人過ごしていた幼い和美さん(58)との出会いを機に、運天恒子さん(89)はたびたび和美さんの家に足を運び、風呂に入れるなど身の回りの世話をした。和美さんは「先生の来る日が、もう待ち遠しかった」と鮮明に覚えている。

 米軍統治下にあり、医療・福祉のインフラ整備が大幅に遅れた沖縄では、家族や地域に存在を隠されるように生きる障がい者が少なくなかった。沖縄盲学校の教員だった運天さんは、教育を受けていない視覚障がい児の情報を得ると1軒ずつ訪ね、盲学校に通わせるよう親を説得して回った。和美さん宅はその一つ。父親に盲学校入学を認めてもらった時には、通い始めてから半年ほどがたっていた。

 一時、運天さんに引き取られた和美さんは、やがて寄宿舎から盲学校に通う生活へ。次々と言葉を覚え、友達をつくり、食べること、そして歌が大好きになった。