沖縄県出身の自衛官は自衛隊が沖縄にやって来てから徐々に増え、存在の浸透ぶりがうかがえる。専門家によると、近年の増加の一因は自衛隊が対中国で沖縄や奄美を含めた一帯の部隊の配備を増やす「南西シフト」にある。さらに、災害派遣などによる「人助けイメージ」形成が、組織の印象を和らげていったことも大きい。高校生をはじめとする若い人の就職先に挙がる今、実態をどう伝えるかが課題という。(「防人」の肖像取材班・銘苅一哲)

 採用に当たる自衛隊沖縄地方協力本部(地本、那覇市)によると、県内からの入隊者は日本復帰に伴って自衛隊が沖縄にやって来た1972年から、2019年までで通算9130人に上る。

県出身の自衛隊入退者数

 最も古い記録が残る1972年はわずか15人だったが、74年に129人で100人台、79年に215人で200人台を超え、増え続けた。89年には歴代最多の326人が入った。

 一時落ち込みを見せた後、2011年の東日本大震災後は15年を除いて毎年200人以上が入り、現在も増える傾向にある。

 現役自衛官で見ると、20年時点で全国総数22万7474人のうち、県出身は3142人。全体に占める比率は1・38%で都道府県別で28番目になる。人口に占める自衛官の数は0・22%で、全国18番目に上がる。

 地本は、対中国を念頭に置いた琉球弧への部隊配備「南西シフト」が進んでいる現状から「県内で働ける可能性が高まったからではないか」と県内志望者の増加傾向を説明。就職先として一般化しつつある、との考えだ。

「人助け」前面に市民権

■拓殖大海外事情研究所長 川上高司さん

川上高司さん

 国内外の安全保障に詳しい拓殖大海外事情研究所の所長、川上高司さん(65)は、沖縄出身の自衛官採用や県内配属が増える一因は自衛隊の「南西シフト」にあると見る。

 2016年に陸上自衛隊が駐屯を始めた与那国島に何度も足を運び、地域行事や日常的な作業を手伝う自衛官を何度も見た。「地元に溶け込む努力を重ね、過疎化する地域の活性化に努めることも理解を得る要因になった」と受け止めている。自衛官に県出身者が増えれば、地元の人間としてさらに理解を得る後押しになる、との考えだ。

 入隊増は自衛隊を巡るイメージ変化もあると指摘する。日米安全保障条約を巡り、米軍と自衛隊が協力を深めるほどに戦争に巻き込まれる懸念が増す-という全国的な反発は、1990年代に軟化を始めたという。阪神・淡路大震災(95年)や台風災害などの救助活動が増え、「国民に受け入れられるように力を注ぐ中で、災害のための自衛隊という印象を前面に打ち出し、市民権を得た」と読み解く。

 同時に、災害救助を志して入隊し、訓練続きの現実とのギャップに悩む若い隊員がいることにも触れ、「募集時に人助けを強調し過ぎる点は反省すべきだろう。国防が本来の任務だということをきちんと説明する責任がある」と語った。

タブーなき進路指導を

■琉大教育学部准教授 山口剛史さん

山口剛史さん

 県出身自衛官の増加傾向について琉球大学教育学部の准教授、山口剛史さん(49)=社会科教育=は「就職の選択肢から取り除くのは非現実的。リスクを含めた仕事内容を生徒に判断材料として示す教育が大切になる」と強調する。

 復帰前後の沖縄での反自衛隊運動について、隊員の子どもの入学拒否を主張するなど過剰な部分があった、と断じる。「人権否定ではなく自衛隊が沖縄にいる目的を踏まえ影響を話し合うべきだった」と語る。

 中国脅威論は一定の現実味があると見る。完全非武装の国は存在しないとしつつ、軍事ありきの単純な国防観に陥るのは危うい、として「軍隊が国民を軍事主義に縛り付けないか、外交など他の道はないか、距離を置いて多面的に探るのが教育の在り方」と考える。

 台湾の大学生との交流では「軍隊が必要」という言葉が聞こえてきたという。中国との衝突を差し迫った問題とし、平和、軍事を考える土壌があると分析する。 日本の教育は長年、憲法9条との兼ね合いで、実践的に自衛隊を取り上げることをタブー視してきたという。「進路を選ぶ生徒と教員が一緒に、自分事として自衛隊を議論する。結論は個々で違って構わない」。入隊後に命を奪い、奪われる可能性を見つめ、問い直す必要性を身に染みて感じている。

「将官」ゼロ 幹部比率は最低

 県内採用の自衛官は増える一方、昇進は頭打ちと言える。階級は大別すると現場で指示を受けて働く「曹士」、指揮する「幹部」。2020年時点で県出身自衛官3142人のうち幹部は9%の287人で、都道府県別で最も低い割合だ。

 幹部は「尉」「佐」「将」の順に位が高まる。過去に、沖縄生まれで最上位の「将」になったのは2人だけ。日本復帰の1972年に沖縄へ移ってきた陸上自衛隊第一混成群の群長・桑江良逢さん、地本の前身となる沖縄地方連絡部の初代部長・又吉康助さん(いずれも故人)の最終階級が「将補」だった。

 2人は旧日本軍出身で、復帰前から自衛官だった。復帰後に入隊した県出身者で将官になった人はいない。

 現在、県出身の最上位幹部は「1佐」。自衛隊が「南西シフト」で沖縄を重視する今、近く沖縄生まれの将官が出て、地元の組織トップになり得る-との展望もある。自衛官の一人は「県出身者が司令官になれば、隊に否定的な住民とも腹を割って話せる可能性がある。期待できるメリットは多い」と話した。

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