1925年 琉球の田舎

 1925年に撮影された沖縄県内の風景。写真の裏には「琉球の田舎」とメモ書きがある。撮影場所は分かっていない。道路沿いの松の植栽、かやぶき、瓦ふきの屋根が連なり、遠くに畑が広がる。野菜だろうか、山盛りになったかごを頭に載せて運んでいる女性と「オーダー(もっこ)」を担ぐ男性が見える。

1925年 糸満の少女たち

 1925年に撮影された糸満の少女たち。屈託のない笑顔をカメラに向けている。糸満の女性たちは、父や夫が捕ってきた魚をバーキ(かご)に入れ、頭の上に載せて売り歩いた。写真の少女たちはバーキのふたのようなものにグルクン(タカサゴ)を並べている。糸満の海人は縦じまの着物を普段着にしていた。

1925年 路面店

 1925年に撮影されたとみられる路面店。写真の裏には「琉球の提燈屋」とメモ書きがある。提灯が掲げられた奧の看板に「芭蕉せん…」という文字がみえる。芭蕉の葉の形をした「芭蕉せんべい」が売られていたか。その奧には「パン」の看板が、さらに奧の薬屋には「有田ドラッグ」という店名が確認できる。

1925年 青果市

 1925年に撮影されたとみられる青果市。着物に髪を結った女性たちが野菜を売り買いしている。ネギやキュウリ、パパイア、チシャ、キャベツなど、種類も量も豊富だ。大きな傘で日差しを遮るのは当時の市場に特徴的な風景。

1921年 奥武山公園

 1921年の奥武山公園。奥武山は現在は陸続きになっているが、戦前は漫湖の中央にある島だった。01年に奥武山記念運動場ができ03年に北明治橋と南明治橋ができて両岸とつながれた。那覇市の全小学校が集まる運動会や各郡対抗の陸上競技大会など、大きなスポーツ大会がこの時期から開かれていた。

1921年 沖縄県庁

 1921年に撮影された沖縄県庁。その前年の20年に竣工したばかりで、周辺の植栽などがまだ整備されていないようにみえる。現在の県庁がある場所に建てられた。本格的な木造の洋館で、堂々とした姿を見せている。右の建物は県会議事堂。県庁の裏には警察部があり、現在とほぼ同じ配置だったことが分かる。

1925年 那覇市内の石橋

 1925年に那覇市内で撮影された石橋。橋脚に楕円形の「防水基」があり、泉崎橋とみられる。馬車を引く男性、子どもを抱く女性と頭上に荷物を載せた女性が見える。当時は那覇市役所や銀行、市場などは西町と東町一帯に集まっていた。人々は久茂地川に架かった橋を渡って町の中心へと行き来した。

1925年 園比屋武御嶽石門

 1925年に撮影された園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)に座る男女。写真裏には「琉球の労働者」と書かれている。当時首里城では正殿の修復が行われていた。園比屋武御嶽石門は、国王が出御の際、この前で道中の安泰を祈願したとされる場所。

大正から昭和初め 守礼門周辺

 大正末から昭和の初めの守礼門周辺。写真裏には「守礼門より歓会門を望む 王城の大手門」と書かれている。道の両脇には大きな石が置いてある。首里城では1927(昭和2)年に正殿の修理が始まるが関連は不明。守礼門は33(昭和8)年に国宝になり沖縄戦で破壊された。58年に復元され、首里城が復元されるまでの間、琉球文化を象徴する建造物だった。