[「防人」の肖像 自衛隊沖縄移駐50年](16) 第2部 浸透の境界線 那覇市小禄(上)

中原誠さん

那覇市小禄地区の成人式で、私服の自衛官を「参加しないで」と呼び止める労働組合員ら=1979年1月15日

中原誠さん 那覇市小禄地区の成人式で、私服の自衛官を「参加しないで」と呼び止める労働組合員ら=1979年1月15日

 子どものころ以来、数十年ぶりに布団を並べて寝ていた母が、朝一番につぶやいたという。「これからは何か(紛争)があっても一番に出て行かなくて済むね」。陸上自衛官だった中原誠さん(68)=糸満市=が2006年、定年した54歳の誕生日に初めて聞いた親心だった。

 福岡の実家を離れ、父と同じ自衛官になる学校に入ってから39年半、いざという時に備え続けた。うち31年半を那覇駐屯地で働いてキャリアを終えた。妻と出会ってマイホームを構え、第2の故郷と呼ぶ沖縄で「あれだけは許せなかった」と成人式と隊を巡る記憶を振り返る。

 1970年代の終わりごろ、1月10日すぎの夜。那覇駐屯地の宿直室に詰めていると段ボール箱が一つ届いた。20歳になる隊員向けの記念品入りで、隊で配ってほしいとの表書きがあった。送り主の那覇市は自衛隊配備に反対し、成人式に来るのを拒んでいた。

 「大人の仲間入りに職業が関係あるか」。中原さんは式典の日、門出の後輩2人とともに那覇市小禄地区の会場へ。呼び止める人垣を突っ切った。

◇    ◇

 成人式に来る自衛官を阻み、抗議する動きは70~2000年代の那覇市で続いた。特に地域別で開かれていた間は、自衛隊基地のある小禄地区の会場前に労働組合員ら100人ほどが集まり、「色白の新成人には本土から来た隊員か、と声を掛けて止めた」という時期があった。

 元労組幹部から「入れてあげなさいという地元の自治会長とも押し問答になった」との証言も出た。反戦の訴えとは別に、自衛官の肩を持つ人が小禄にいてもおかしくない-とは、戦後の地元にいた人の見方だ。

 「耕す畑もなくなって米軍と、日本復帰後は自衛隊と付き合うしか生きるすべがなかった」。同じことを言った一人は小禄かいわいで米軍人や自衛官に家を貸し、家族ぐるみで付き合った金城栄一さん(79)=豊見城市。もう一人は平和憲法を学ぶ「小禄九条の会」の代表世話人、平良亀之助さん(84)=那覇市=だった。

 2人の自衛隊を巡る賛否は異なる。が、故郷が旧日本海軍の飛行場とされ、沖縄戦で締め出された境遇は同じ。年上のきょうだいたちが米軍で働いていたことも共通するなど、軍事組織との距離が近い地域で生きてきた。(「防人」の肖像取材班・堀川幸太郎)=随時掲載