[琉球から沖縄へ 続よみがえる古里](3) 沖縄タイムス・朝日新聞共同企画

 ティーカップやワイングラスのような器、水玉模様のふたもの-。昭和初めごろに撮影された漆器はどれもモダンな形と模様で、琉球王国時代の漆器とは違った雰囲気だ。「なでしこ」や「シダ」の柄は1927年にできた県工業指導所の図案に同じものがある。写真は全て朝日新聞社所蔵。

 デザインは新しくても、顔料で色付けした漆を粘土状にし、貼り付ける琉球漆器の伝統的な技法「堆錦(ついきん)」が使われているとみられる。地の色も伝統的な朱色だろうか。

 漆器を専門にする浦添市美術館の宮里正子館長は「このようなデザインは初めて見た。琉球漆器が豊かなものだったことを知らせてくれる」と話した。

 王国時代、「貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)」という役所が漆器を制作して首里城の内装を飾り、輸出して王国の経済を支えた。1879年の廃藩置県(琉球処分)以降も職人は制作を続けたが、品質の向上が課題となった。

 大正期に入って砂糖の価格が上がり好景気になると、琉球漆器業界は活況を呈する。県工業指導所は、県外から教員を招き、デザインの改良に力を入れた。1931年に設立された沖縄漆工芸組合(2001年に閉店した漆器店「紅房(べんぼう)」の前身)は、欧米向けの万年筆パッケージやおしろい入れを制作した。

 ただ、戦時色が濃くなると漆器の立場も危うくなった。43年に来沖した東条英機首相が工業指導所の陳列品を「非戦時的ぜいたく品」と非難したという話が残る。(城間有)...