日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意して12日で25年になる。当初掲げられた「5~7年」の返還期限はとうに過ぎ、「世界一危険」ともいわれる米軍施設は市街地の中心に居座ったままだ。米軍機の部品落下や騒音被害が続く中、関係者は沖縄の基地負担軽減を訴え続ける。翻弄(ほんろう)されてきた市民らに思いを聞いた。

伊波美恵さん(66)カマドゥー小たちの集い

 「県内移設では子や孫が基地に苦しめられる状況はいつまでも続いていく」。宜野湾市に住む女性らでつくった「カマドゥー小たちの集い」の呼び掛け人の伊波美恵さん(66)=恩納村=は普天間飛行場の県外移設を求めて活動してきた。

 55歳まで25年間、普天間飛行場のある宜野湾市に住んだ。普天間の全面返還が日米で合意されたが、結局は「県内移設」の条件付きにがくぜんとした。名護市沖合への移設案が浮上し「『嫌なもの』を同じウチナーンチュに押しつけていいのか」と、1997年の名護市民投票前に市街地で基地の被害実態を訴えるビラを配った。県内移設では何も変わらない-。母親として、子どもたちにも被害を負わせたくないとの思いが発足のきっかけだった。

 「最低でも県外」と発言した鳩山由紀夫元首相は次第に「県内移設」に方針転換。2010年に来県し、普天間第二小で住民との対話集会に参加した。伊波さんは退席間際に「安心して暮らせる沖縄にして」と県外移設を貫くよう、その場で書いた手紙を渡した。受け取ってもらえたが、その目に力はなかった。

 普天間飛行場の返還は「日本に住んでいる国民が政府を動かせばできないはずはないのに」と思う。25年経ても変わらない現状に「県民投票などで県民がどれだけ民意を示せば気付くの」とつぶやいた。(社会部・大城志織)

佐喜眞道夫さん(74)佐喜眞美術館館長

 美術館の屋上に出ると、「慰霊の日」の日付にちなんだ6段と23段の階段が、空へ向かうように続く。最上段からは、米軍の普天間飛行場とその周囲を取り囲む住宅地の光景が広がる。

 「沖縄戦のあった場所が、その後どうなったのかが分かる場所。...