[普天間返還 合意25年]

新基地建設が進む米軍キャンプ・シュワブ沿岸部。辺野古側(手前)は海面がほとんど見えない状態まで埋め立て工事が進んでいるが、軟弱地盤が確認された大浦湾側(奥)は手付かずのままだ=9日午前11時5分、名護市辺野古(小型無人機で飛行禁止区域外から金城健太撮影)

 米軍普天間飛行場の5~7年の全面返還に橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が1996年に合意して12日で25年となる。合意に向けた準備の中心にいた田中均元外務審議官は当時、どういうプランが現実的かを考えたとして、県外移設検討の話は「なかった」とした。99年に条件付きで名護市辺野古への移設を受け入れたことがある稲嶺恵一元知事は、安全保障環境の変化を踏まえ「計画を見直すべきだ」と指摘した。

 両氏は10日までに本紙インタビューに応じた。

 田中氏は合意から25年たっても返還が実現していない現状に「これだけ長い時間がかかっているのは、とても残念」と語った。

 米軍キャンプ・シュワブ沿岸の埋め立て案となったが、個人的に考えていたのは「ヘリポート」で、「今想定されているような滑走路ではなかった」と回顧した。

 稲嶺氏は「国際情勢や技術の発達など、時代時代で基地の機能や在り方は変わる」と述べ、国が計画を見直すべきだとした。新基地建設を巡り、国と対立を続ける玉城デニー県政に対しては「全面的な対立は望ましくない。高い政治力が問われる」と指摘した。

 米軍普天間飛行場を巡っては、2004年に沖縄国際大学構内にヘリが墜落、17年には普天間第二小学校に重さ約7・7キロのヘリの窓が落下した。外来機の飛来も増加し、騒音被害も続いている。

 移設先となる辺野古の埋め立て海域は軟弱地盤の改良工事が必要なため、沖縄防衛局が県に埋め立て変更承認申請を提出。仮に知事が承認しても、移設まで少なくとも12年かかる。知事は承認しない構え。