[琉球から沖縄へ 続よみがえる古里](4) 沖縄タイムス・朝日新聞共同企画

 焼き物が盛んな那覇市の壺屋地区。1944年ごろに撮影されたとみられる写真に、代表的な工房が写っている。

 那覇市の壺屋焼物博物館によると、1672年に首里城正殿が瓦ぶきで再建されるなど、地元では瓦の需要が増大。首里王府が82年に陶工たちを移住させ、多数の窯を築いたのが壺屋で、「壺屋焼」の始まりといわれる。主に食器やつぼなど日用雑器が作られていた。

 太平洋戦争で物資が不足し始め、壺屋では1944年ごろから軍用の飯わんや蓄電用のバッテリーケースなども作られた。

 右上の写真は「壺屋焼の名人」といわれる小橋川仁王(1877~1954年)=写真奥=が軍用か県外向けと思われる土瓶を作っているところ。工房はその後「仁王窯」と呼ばれるようになった。

 写真の裏には「父子」とあり、隣にいるのは、仁王の息子で戦後の壺屋焼を支えた名工、永昌(1909~78年)の可能性がある。永昌のこの時期の写真はあまり残っておらず、同館は「極めて貴重」とする。

 永昌のおいにあたる小橋川永勝さん(79)と弟の太郎さん(75)は、...