沖縄にとって「屈辱の日」とされる、サンフランシスコ講和条約発効の1952年4月28日。69年後の現在2021年4月28日午後1時44分、米軍のMC130J特殊作戦機とみられる固定翼機が国頭村の辺戸岬をかすめるように低空飛行した。東海岸側から現れ、祖国復帰闘争碑の近くを機体を傾けながら通過し、西海岸側に飛び去った。

祖国復帰闘争碑の近くで記念撮影する中頭青年団OB会=28日午後1時44分、国頭村の辺戸岬(西倉悟朗撮影)

祖国復帰闘争碑の近くで低空飛行する米軍のMC130J特殊作戦機とみられる機体=28日午後1時44分、国頭村の辺戸岬(西倉悟朗撮影)

祖国復帰闘争碑の近くで記念撮影する中頭青年団OB会=28日午後1時44分、国頭村の辺戸岬(西倉悟朗撮影) 祖国復帰闘争碑の近くで低空飛行する米軍のMC130J特殊作戦機とみられる機体=28日午後1時44分、国頭村の辺戸岬(西倉悟朗撮影)

 低空飛行があったのは、復帰闘争碑の文字の補色作業を終えた中頭青年団OB会が、記念撮影をしていた時だった。

 復帰運動にも関わった宮城盛光さん(72)=北中城村=は「来年で復帰50年を迎える今でもこの状況が続いている。私たちが求めた復帰は、まだかなわないままだ」と悔しさをにじませた。

 ことば サンフランシスコ講和条約(対日講話条約) 1951年9月8日に署名され、1952年4月28日に発効した。敗戦後の日本が主権を取り戻した一方、沖縄・奄美諸島は日本から行政分離され、アメリカ軍政下に置かれることになった。沖縄では「屈辱の日」とも呼ばれている。