【山形】戦後の占領統治下で、米軍の砲撃用演習地として土地を接収された山形県村山市戸沢地区の暮らしを描いた児童小説「ヘイタイのいる村」がこのほど出版された。同小説は1958年、地元の青年5人の共同創作で地域紙・中奥日報(現・米沢新聞)に連載されたもの。昨年10月、同地区出身で山形童話の会会長の花烏賊(はないか)康繁さん(73)が新聞のスクラップなどを見つけ、書籍化に動いた。花烏賊さんは「基地が集中する沖縄で起きていることが過去に山形でもあったが、若い人は知らない。基地問題は人ごとではいけない。歴史を知ることが今を知ることになる」と訴える。(東京報道部・吉川毅)

新聞のスクラップを示しながら「基地問題は人ごとではいけない」と訴える花烏賊康繁さん=10日、山形県上山市内の自宅

「弾道下の村」と呼ばれた山形県村山市戸沢地区の暮らしを描いた児童小説「ヘイタイのいる村」

新聞のスクラップを示しながら「基地問題は人ごとではいけない」と訴える花烏賊康繁さん=10日、山形県上山市内の自宅 「弾道下の村」と呼ばれた山形県村山市戸沢地区の暮らしを描いた児童小説「ヘイタイのいる村」

 米軍は終戦直後、同地区などで計約4700ヘクタールを接収し、3カ所に砲座を設置した「大高根(おおたかね)射撃場」を建設。46年12月から、集落を挟む形で、山の斜面の射撃標的に向けて昼夜を問わず砲撃演習を始めた。のどかな戸沢地区は突然、米軍の砲弾が上空を飛び交う「弾道下の村」と呼ばれた。

 砲弾は生計を支える炭焼きの山を崩し、田畑や民家を襲った。砲弾拾いをしていた住民4人が不発弾の爆発で死亡し、米軍絡みの事件事故も相次いだ。補償金に翻弄(ほんろう)された大人たちもいた。同書では、その様子を地域の子どもたちの視点で描き出している。

 著者は当時、大学生だった鈴木実さん(88)と、すでに他界している高橋徳義さん、植松要作さん、笹原俊雄さん、槇仙一郎さんの計5人。生前、高橋さんは「善良な大人たちや無邪気な子どもたちがいかに苦しみ、傷つき、国土が害されていったか。皆でより深く広く考え合っていくために書いた」と話していた。

 書籍化は、花烏賊さんが高橋さんの遺品を整理した際に、新聞のスクラップを見つけたことがきっかけ。「これは物語というより生活記録。埋もれさせてはいけない作品だ」と刊行発起人会を発足。沖縄県内を含め全国各地から寄付が集まった。出来上がった本は、地元の小中高校や図書館に寄贈した。

 大高根射撃場は、住民らの激しい反対運動により56年12月に返還された。しかし、今でも畑から弾が見つかっている。花烏賊さんは、小学1年生の時に近所の5年生が米軍のトラックにひき殺された様子を目撃し、今も忘れることができないという。

 「地元の若者は米軍基地があった歴史を知らない。多くの国民は沖縄の現状に無関心でもある。日本は平和と言えるだろうか。子どもたちが本を読んで考え、何かを感じてもらえたら」と話した。

 同書は2千円で販売している。購入などの問い合わせは花烏賊さん、電話090(2025)8785。