ないなんてことがあるのか。玉城デニー知事の名前で出された4枚の「公文書の不存在による不開示決定通知書」。歴代県政の最重要課題である普天間飛行場の返還は、約四半世紀も意思決定過程の記録が残っていなかった。

県が返還に向け日米と交渉を続けてきた普天間飛行場=宜野湾市、2019年11月28日撮影

 普天間返還は、政府や米国という強大な相手に、翻弄(ほんろう)されてはもがき、跳ね返されてもあらがってきた沖縄の苦悩そのものだ。

 一地方自治体が背負うには重すぎる外交問題。沖縄が望んだわけではない。根は、沖縄戦や米軍統治という理不尽に行き着き、今も向き合わざるを得ない。県は他県と違う特殊な立場を自覚し、政策決定までの過程を積極的に残すべきだ。

 支障があれば、公開まで一定期間を置く仕組みを整えればいい。批判を浴びた政策判断も、後年には理解されるかもしれない。記録がなければ、歴史の評価さえ受けられない。

 「知っていることは何でも話す」。稲嶺恵一元知事は、耳の痛い話をしに来た記者に誠実だった。知事職を務めた責任と考えているのだろう。

 来年で復帰から50年。公文書管理は、民主主義の基本である情報公開と車の両輪だ。

 県行政は、県民全員の暮らしに関わる。公文書を「県民の財産」として活用するために、条例制定などの知恵を出し合うべきだ。将来「沖縄はどう歩んできたのか」と振り返った時、その疑問に答えられる市民社会を築く必要がある。

(政経部・下地由実子)

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