大田昌秀、稲嶺恵一、仲井真弘多、翁長雄志の各県政は、日米両政府による米軍普天間飛行場の返還合意や、県内移設、名護市辺野古の新基地建設といった県が抱える重要課題の決定過程に直面し、対応を迫られてきた。判断の結果は資料や報道などから追えるが、判断に至る議論の過程を知りたくても、知事が出席する庁内会議の議事録やメモが存在せず、県民から“空白”となっている部分も多い。普天間返還を巡る主な出来事を振り返る。(政経部・大城大輔、肩書は当時)

 大田知事は、最優先で求めた普天間飛行場の返還と、最も受け入れ難い条件だった県内移設との間で、落としどころに苦しんだ。 橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が返還合意を発表した1996年4月12日、記者会見で「政府が誠意をもって取り組んでくれた」と評価した。

 だが、その後の態度は“保留状態”が続く。

 嘉手納弾薬庫、嘉手納基地統合、中城湾-。移設先が取り沙汰されるたびに、地元は強く反発。政府は大田氏に地元との“調整役”を期待していたが、大田氏は「国がやるべきだ」との姿勢を崩さなかった。

 そして98年2月6日。政府が提示していた名護市キャンプ・シュワブ沖の海上ヘリポート案に正式に「反対」を表明した。

 橋本氏と重ねた会談は17回。98年11月の知事選で大田氏を破った稲嶺恵一氏は、本紙取材に「何も記録がない。(大田氏がどう考えていたか)推測するしかない」と振り返る。

 稲嶺知事は99年11月、普天間の移設先をキャンプ・シュワブの辺野古沿岸域と発表。記者会見で「県民の皆さまへ」とする8ページにわたるメッセージを出した。

 「既存の米軍施設・区域内に移設することにより、沖縄の米軍施設・区域の面積を確実に縮小できる」ことや、将来的に軍民共用空港とすることで、北部振興につながる利点を挙げた。メッセージを出すまでの、庁内での議論は記録に残されていないという。

 2013年12月、仲井真知事は、どのように辺野古の埋め立て「承認」に至ったのか。同月4、5日の県議会代表質問でも、公約である普天間飛行場の県外移設を堅持していた。 ...