「百害あって一利なし」の理由

 このような分析の「逆証明」として、ドラマや映画と異なって「放映」と「制作」がしっかりと分離したことで、海外進出が進んだ成功例として「アニメ」をあげている。

 「著作権が映画会社との契約においては、テレビ局にないため、アニメに関しては映画会社が積極的に海外などへのセールスに力を入れた。このことが、日本のアニメが世界の中で、大きなシェアを占めることに繋がっている」(同上)

日本のドラマは、なぜ海外で成功しないのか(画像はイメージ)

 確かに、ドラマやバラエティー番組のように、「日本テレビアニメ部」の社員プロデューサーのもと、スタジオジブリが下請けプロダクションとして、あれこれ指図されるようなやり方をしていたら、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』など世界で評価されるような作品は誕生しなかったかもしれない。

 民放キー局は国内で独占する電波を用いた広告ビジネスが主たる事業なので、どうしてもF1層だF2層だという視聴者にこびたクリエイティブになる。といっても、それは「ユーザー目線」ではない。「数字を持っているタレント」を管理する大手芸能事務所や、視聴率を求める大手スポンサーへの「忖度(そんたく)」が強くなって結局、誰のためにつくっているのかよく分からないようなドラマや映画が量産されているのだ。

 このような「ムラの論理」でドラマ制作現場がゆがめられていることは、前出の重村氏も指摘している。

 「国内で若者受けする番組を作る手短かな道は、人気アイドル、タレントを主役に据える事である。彼らは或いは彼女らは、(本人ではなくマネージメントをする芸能事務所はという方が正確)作品の質の高さより、役者本人の魅力を高めたり、引き出す内容を出演の条件とする。少々、作品の内容や構成に無理があっても、主役が要求する設定やストーリーで脚本が作られ、企画力で勝負する時代から、人気タレントのブッキング能力を持つテレビ局やプロデューサーが競争の勝利者となる」(同上)

 これは当然、民放キー局が製作委員会に関わるような邦画にも当てはまる。公開前にキャストが番宣をする際に、主演が誰かよく分からないような人では「数字」が取れない。だから最近の邦画は、テレビやCMで引っ張りだこの人気タレントなどいつも同じ顔ぶれが並ぶ。構造的に「映画スター」「映画人」が育たないし、育てるつもりもないのだ。

 先ほど、本当に世界に通用するようなコンテンツをつくろうと思ったとき、民放キー局が関わっていると「百害あって一利なし」と申し上げた理由が分かっていただけたのではないか。