[抜け落ちた記録―沖縄公文書](1)

大勢の報道陣が詰め掛けた記者会見で埋め立て承認の理由を説明する仲井真弘多知事(右)=2013年27日、那覇市・県知事公舎

 2013年12月27日午後1時すぎ。那覇市寄宮の知事公舎に集めた県の全部長を前に、仲井真弘多知事(当時)が報告した。

 「辺野古の埋め立て申請を承認します」

 既報の事実だった。だが、幹部の一人は声を上げた。「振興策と引き換えに辺野古の基地を受け入れる形になっている。それは違うでしょう」

 仲井真氏は2日前の25日、首相官邸で安倍晋三首相(当時)と会談し、21年度までの沖縄関係予算3千億円台確保を取り付けた。「有史以来の予算」「いい正月になる」と政府を絶賛する発言を繰り返した。多くの県民には、これまで沖縄県が否定してきた基地負担の見返りに政府が経済振興策を講じる「基地と振興のリンク論」を知事自ら受け入れたと映った。

 幹部が苦言を呈した約2時間後、仲井真氏は記者会見で「承認」を発表した。

◆議事録やメモ「不存在」

 仲井真氏は13年の県議会6月、9月定例会で繰り返し普天間飛行場問題の解決策として「県外移設」を強調した。一転、承認に至った背景にはどんな議論と政策判断があったのか。

 本紙は、仲井真県政下での埋め立て承認の審議と決定に関する会議の議事録やメモを県に開示請求したが「不存在」だった。

 「仲井真氏の政治判断。仲井真氏が会議で相談することは一切なく、私たちが入る隙はなかった」。当時の県幹部はこう明かす。

 承認直前の12月、仲井真氏は都内で菅義偉官房長官(当時)と極秘会談。当時、知事が入院していた都内の病院では額賀福志郎元防衛庁長官ら複数の自民党幹部の姿が確認されている。だが、話し合われた内容は闇の中だ。

◆後世に残らない歴史

 県民世論を二分する政策決定過程が分からない-。この現実に当時、企業局長だった平良敏昭氏は「後世に正確な歴史を残すべきだった」と自戒を込める。

 承認判断に関し、仲井真氏は幹部会議に諮らなかったとされている。「本当のことは知事の胸の内にしかない。その事実を文書として残すのは現制度では難しいかもしれない」と語る。

 だが、仲井真氏が承認の事実上の「条件」とした普天間飛行場の5年以内の運用停止は19年2月に期限を迎えたが、運用は続く。そして、約束した毎年3千億円台の沖縄関係予算は最終年度を迎えた。

 承認から約8年。新基地建設に反対し誕生した故翁長雄志知事、現玉城デニー知事と政府の辺野古を巡る対立は続く。

 平良氏は「政治判断をした知事が後に秘書に語ってメモを作り残すなど、記録を残す新しい仕組みが必要だ」と提言する。それが県政を預かる者としての県民への責任だと感じている。(政経部・大野亨恭)

 大田昌秀、稲嶺恵一、仲井真弘多、翁長雄志の4県政で普天間飛行場の返還と辺野古新基地建設を巡る政策決定過程を記録した会議の議事録やメモが存在しないことが判明した。記録保存の在り方や県公文書の取り扱いの実態、公文書管理条例制定の必要性を探る。

◆玉城知事、文書の管理「確認したい」

 米軍普天間飛行場の返還や辺野古新基地建設などの政策決定を巡り、歴代4県政で会議録やメモが残っていなかった問題で、玉城デニー知事は7日の会見で、「公文書管理の在り方と個人情報の観点を含め、行政文書の管理保存はしっかりと確認したい」と述べた。

 会議の内容を記した記録が残っていなかったことには、「どのような状況が残っていたか、残っていなかったかは詳しく精査していないのでコメントできない」と明言を避けた。