未来へ #いのちを歌おう

 県出身の音楽デュオKiroro(キロロ)ボーカルの玉城千春さんが、県内の小中学校を巡る特別授業「未来へ#いのちを歌おう」が5月下旬、スタートする。沖縄タイムス社のSDGs(持続可能な開発目標)企画の一環で、沖縄の子どもたちが貧困や差別のない社会で、夢や希望を持って生きる未来を目指す。特別授業に懸ける玉城さんの思い、オリジナル曲「命の樹」のエピソードを紹介する。(関連記事)

挑戦する姿見せる ■ あふれる思い歌に

母校・読谷中学校の廊下に立つ玉城千春さん。県内小中学校を巡る特別授業を前に「ワクワクしています」と語る=4月10日、読谷村

マレーシア交流

 -子どもたちに歌や自身の体験を伝えようと考えたきっかけを教えてください。

 「2018年にKiroroのデビュー20周年のお仕事が終わった後、これから先、歌で何を伝えていけばいいのか道に迷い込んでいました。たくさんの人にKiroroの楽曲を聴いてもらえるのはうれしい。でも何だかもやもやして、10代の頃にお母さんや先輩、友人のために、プレゼントとして歌を贈っていた原点を取り戻したいという気持ちが膨らんで」

 「そんな時、マレーシアでさまざまな理由から親が育てられない子どもたちを受け入れる『CFFマレーシア』を運営する日本人ご夫妻とつながり、19年3月に家族で行ったボルネオ島で育児放棄、虐待、貧困など厳しい境遇にある現地の子どもたちと交流しました。マレーシアではKiroroの『未来へ』を知っている人が多く、この歌をCFFの子どもたちも歌ってくれて驚きました」

 「『自分に今できることは何だろう』『私は何で歌っているのだろう』と考えるクセがあるんです。その年の11月にマレーシアのコタキナバルであったCFFのチャリティーコンサートに、こちらから願い出て家族総出で出演したのは、現地に足を運び直接この目で見た私たちに、何か力になれることがあるならと考えたから。それと前後して、私が住む沖縄の子どもたちの存在が私の中で大きくなっていきました」

 「それからは心赴くままに、わが子が通う学校や知人が勤める施設で講話をしたり、子どもたちと一緒に曲を作ったりしました。得意ではなかったピアノも猛練習し、弾き語りも少しずつできるようになったかな」

実在する桜の木

読谷中学校の中庭で花を咲かせる「命の樹」と名付けられた桜=2月

 -20年、母校・読谷中学校の生徒たちと制作した「命の樹」は、1年をかけて完成させた今回の企画のシンボルソングです。

 「モチーフになったのは読谷中に実在する桜の木です。17年前に病気で亡くなった松田拓哉君のために植えられたというエピソードを親交のある読谷中の先生から聞き、20年春に卒業した3年生たちと歌詞を考え曲にしました。今の形に仕上げたのはその年の12月。『何かが足りない』と悩んだ末にひらめき、出だしの〈ここで生きてるよ 花を咲かせながら〉のフレーズを拓哉君のご家族と相談し歌詞に反映しました」

 「あふれる思いのままつづったので三つの景色、メロディーが広がっていきます。拓哉君がいたことを忘れないでほしい、こんな時代だからこそ一人一人かけがえのない大切な存在なんだよということを伝えられたらいいな。振り返ってみると、湧き出る気持ちを届けたい、私の歌で誰かを勇気づけたいと思えたことが、中学3年生で母のために『未来へ』を初めて作った時と重なるんです。最近『命の樹』のような人になりたいと思うようにもなりました。そこにいるだけで人を励ましてあげられるから」

真っすぐな言葉

 -読谷中の他にも、子どもたちと手掛けた曲が形になり始めていますね。

 「子どもたちとの曲作りは詩を書いてもらって、その中から印象的なワードを拾って紡いでいきます。うるま市の沖縄アミークスインターナショナル中学校の子どもたちと作ったのは、平和を願う『Hope Dream Future』という曲。〈子供で無力だ それでも諦めたくないんだ〉という一節があるのは、沖縄戦の『強制集団死(集団自決)』などを学ぶ授業を通して、戦争を考えることはつらいけれど、平和を望み、そしてコロナ禍の今も『自分を諦めたくない』と書いた子の表現を盛り込みました」

 「県内の児童養護施設の子どもたちと作った1曲は『あの人の声』。〈今なら言える 生まれてきて良かった〉という歌詞には、さまざまな葛藤や苦悩を経てたどり着いた思いの重さを感じます。子どもたちとのやりとりの中で予想もしない発想や真っすぐな言葉たちに出合い、私自身が多くのことを学ばせてもらっています」

いつの日か花を

読谷中学校の生徒と一緒に「命の樹」を歌う玉城千春さん(左)=2020年12月、同校体育館

 -これから始まる企画をどのように展開していきたいですか。

 「新型コロナウイルスの感染が広がり、大人だけでなく子どもたちも大きな不安と闘う中、一人の表現者として、どんなに下手でも、悩みながらも挑戦する姿を見せることで、何かを感じ取ってもらえるのではないかと考えました。私の思いだけでなく、賛同してくださる企業、沖縄タイムス社の皆さまと一緒にプロジェクトをスタートできること、そして多くの子どもたちに会えることに今はとてもワクワクしています」

 「小学生の時、学校を訪れたプロのバイオリン奏者の生演奏にすごく感激して、その方が帰りのバスに乗るまで追い掛け、見送った思い出が今も鮮明に心に残っています。県内のさまざまな学校を巡り、私の歌声やここに至るまでのストーリーを届けることで、未来の沖縄を担う子どもたちの希望の種になり、いつか花を咲かせることができればうれしい。一回一回、真剣に心を込めて取り組んでいきます」

(聞き手=学芸部・新垣綾子)

 

▶「命の樹」の弾き語り動画はこちらからアクセスできます

 たましろ・ちはる 1977年4月生まれ、読谷村出身。95年、県立読谷高校の同級生だった金城綾乃さんとKiroroを結成。「長い間」でインディーズデビュー後、98年にメジャーデビュー。「未来へ」「Best Friend」など多くのヒット曲の作詞作曲を手掛ける。1男2女の母

「命の樹」家族を癒やす

少年野球に打ち込んでいた松田拓哉さんの写真と共に写る父の哲哉さん(左)と、拓哉さんの幼なじみの北村勇拓さん=1月、読谷村内の松田さん宅

たくさんの人の心に届いてほしい

 Kiroroの玉城千春さんが読谷中学校の生徒たちの協力を得て作ったオリジナルソング「命の樹」は、同校の中庭に立つ桜の木にちなむ。2004年11月、病気で亡くなった同校1年の松田拓哉さん(享年13歳)の生きた証しを残そうと翌年の春に植えられ、生徒から愛称を募って「命の樹」と名付けられた。

 10年夏、校舎が同村上地から座喜味へ新築・移転された際も一緒に移ってきた。時がたち教員や生徒が入れ替わる中、19年4月に赴任した宮里友昭校長が植樹の経緯や込められた思いを知り、全校集会で紹介。親交がある同校の教員から命の樹の存在を耳にした玉城さんが、生徒との歌作りに取り組んだ。

 拓哉さんの父哲哉さん(52)によると、拓哉さんが全身の皮膚や内臓が硬くなる難病で、膠原(こうげん)病の一種「強皮症」と診断されたのは小学6年の時。3人きょうだいの一番上でバッティングが得意な野球少年だったが、中学入学後は体調不良による欠席が増え、1年生の秋に天国へ旅立った。

 心優しく友達が多かったという拓哉さん。読谷村内の自宅には今でも折に触れ、拓哉さんの同級生が集まる。最愛の長男を失い、悲しみに暮れる家族を癒やしたのは、そんな仲間たちや春になると満開の花を咲かせる命の樹の存在だったという。

 哲哉さんは歌が生まれた巡り合わせに感謝し「拓哉がつないでくれたのかな。千春さんの澄んだ歌声に乗せて読谷中の生徒や先生、拓哉の同級生たちの思いが、たくさんの人の心に届いてくれたらうれしい」とほほ笑んだ。