[那覇まち探訪 市制100年の歩み](1)国際通り(上)

 「娯楽に飢えた沖縄の人のため、劇場を造りたい」。米軍に掛け合って「アーニー・パイル国際劇場」の建設にこぎ着けたのは、実業家でウルマ新報那覇支局長の高良一さん(故人)だった。高良さんが琉球ホテルを建設した1952年ごろ、琉球警察署の交通課勤務だった浦崎さんは、よく話をすることがあった。

 アーニー・パイルは、米海兵師団に従軍し、伊江島で戦死した記者。将校ではない一般兵を取材した記事が好評で米兵に人気があったという。「アーニー・パイルの名を付ければ米軍も劇場を造ることを許すんじゃないか、と。『国際』は東京の国際劇場から取ったと本人が言っていた」

 当時、近隣の神里原も百貨店の山形屋ができるなどにぎわいを見せていた。...