[新型コロナ 沖縄の今]
おでこをなでて手を握り、耳元で「ありがとう」と伝えると、感染防護具越しにも母のぬくもりをじわりと感じた。5月、77歳の生涯を閉じた那覇市の金城アヤ子さんは“太陽のような女性”だったという。県内では12日までに、新型コロナウイルスに感染した159人が命を落とした。その一人一人に、かけがえのない日常があった。大切な人の急な死に直面する家族の思いや、「最期に会いたい」という願いを受け止める医療現場の葛藤を追った。(社会部・篠原知恵)
医療用防護マスク「N95」にゴーグル、キャップ、手袋-。感染防護具に身を包んだアヤ子さんの長男・宏治さん(49)、次男・太志郎さん(45)ら家族が5月中旬、浦添総合病院のコロナ重症病棟内に入った。
横たわり、人工呼吸器を装着するアヤ子さんの意識はない。それでも家族は何度も手のひらに触れ、頬をさすり、温かさや柔らかさをかみしめた。「お母さん、諦めないで」「おばあ頑張れ」。別室でも、家族がタブレット端末越しに励ました。
一目で病状の深刻さがうかがえる母の姿に、太志郎さんの目から涙があふれた。感染対策上、涙や鼻水を拭えないため、流しっ放しの顔で、時を惜しむように母のそばで過ごした。
感染対策講習を受けた家族の近くには同院感染防止対策室の原國政直室長がぴったり寄り添い、少しでもリスクのある行動をとらないよう気を張り続けた。
「数日に1度は入室させてもらい、母の手の温かさや表情の変化を感じることができた。奇跡を祈りながら、でも十二分にお別れの言葉を語り掛け、少しずつ少しずつ状況を受け入れる心の準備が整った」。太志郎さんは言う。
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どこでどう感染したのか、今もはっきりしない。隣近所の仲良しメンバー4人のうち、アヤ子さんを含む3人が新型コロナに一気に感染した。
4月16日。太志郎さんは、化粧品などの愛用品を手提げ袋いっぱいに詰め、救急車に乗り込む母の姿が印象に残っている。38度5分の熱があったが、市販の解熱剤で一時は下がり「旅行にでも行くような感じだった」。本人は周囲を気遣い「恥ずかしい」と搬送を嫌がったが、太志郎さんらが「念のため」と説得。それが、最後に目にした母の元気な姿になった。
入院後は感染対策で面会が許されなかったが、「梅干しを届けてほしい」と電話をよこすなどアヤ子さんは変わらない様子だった。市場本通りのマチグヮーの下着屋や土産品店で長年働き、友達は多くおしゃべり好き。病床でも、心配する友達に「大丈夫、大丈夫よ」と連絡していたという。
それが、1週間後。容体が急変し、呼吸状態が悪化した。CT検査で撮った肺は真っ白だった。アヤ子さんに基礎疾患はない。「元気なのに人工呼吸器だなんて」。不安そうな電話を最後に、人工呼吸器を装着し浦添総合病院に転院。薬で眠ったまま、同院のコロナ重症病棟に運ばれた。