味方さえも信じられなくなる。それが戦争-。太平洋戦争終結直後の沖縄で、投降を呼び掛けた日本兵2人が仲間に米軍のスパイと疑われ、射殺された。居合わせた西原町、宮平盛彦さん(90)は14歳で学徒動員され、沖縄戦の組織的戦闘が終わった1945年6月23日以降も約5カ月間、隠れ続けた。6人家族で生き残ったのは自分だけ。「あの戦争で何が残ったのか」。今もわだかまりを拭えずにいる。

 県立第一中(現在の首里高)2年だった45年3月下旬、陸軍通信隊へ。那覇市の首里城近くの指揮所で電文を受け取り、砲弾の中を約1キロ先の分隊の拠点に走って行き、各部隊に送信した。

 5月下旬、猛攻撃を受け壕(ごう)に飛び込むと、母と姉がうずくまっている。黒糖と油みそを持ち、危険な道を捜しに来てくれていた。

 軍民入り乱れ撤退した沖縄本島南部で姉と再会。母ら家族は糸満市の製糖工場で砲撃の犠牲になったと聞いた。生き延びるのが不思議なぐらいの状況で、悲しみは湧かなかった。

 部隊は6月下旬に解散し、多くの学友が激戦地に放り出されて命を落とすことになった。

 10月中旬のことだった。残った日本軍と共に戦おうと北上中、日本兵6人と身を潜めていた南風原町の壕。「山、山」。入り口から聞こえた声に誰かが「川、川」と返すと、現れた別の日本兵2人がこう言った。「日本は負けた。一緒に本土へ引き揚げよう」...