新型コロナウイルス感染拡大防止に伴う緊急事態宣言下で初となる「慰霊の日」。県内各地の慰霊塔や式典会場では体験者や遺族、戦争を知らない世代が戦没者の冥福を祈り、恒久平和を願った。昨年よりさらに規模を縮小した沖縄全戦没者追悼式が開かれた糸満市摩文仁は早朝から雨が続き、土砂降りの時間帯も。それでも年に1度の大切な人々と向き合う時間をつくろうと、感染対策しながら足を運ぶ人の姿が絶えなかった。

初めて訪れた平和の礎で、亡き姉の名前が書かれた碑を確認する玉城トミ子さん=23日、糸満市摩文仁

■亡き家族を忘れない、大雨の参拝

 「初めて来たの、許してちょうだいね」。言葉を詰まらせ、涙を流しながら、やっと目にした姉の名を何度も何度もなでた。南城市の玉城トミ子さん(83)は沖縄戦で1歳上の姉、当時9歳だった上原吉子さんを亡くした。今まで「体調が悪いから」と平和の礎には足を運べなかった。戦後76年の慰霊の日、娘の「元気なうちに行こう」との言葉に背中を押され、石碑を訪れた。

 旧小禄村安次嶺出身。戦時は母や姉、弟らと糸満市国吉集落の民家に逃げ込んだ。6月6日ごろ。パッと照明弾が上がり、避難していた民家に砲弾が落ちた。破片は姉の頭に当たった。姉は「ううう…」とうめき声を上げ、目の前で亡くなった。玉城さんも右胸の下を負傷した。

 家族で「平和になったら迎えに来るからね」と姉の亡きがらをその場に寝かせた。やんばるに逃げ、どうやって捕虜になったのかは覚えていない。戦後、両親が民家へ行き、姉の遺骨を持ち帰った。

 とても親孝行者で、頭が良かったという姉。10・10空襲で避難する時には、背中に背負った家族の荷物で姿が見えなくなるほどだった。姉の遺骨を持ち帰った両親が、自宅で泣いていた姿を思い返すと今も胸が詰まる。

 平和の礎が建立されて26年。今年初めて訪れた理由を「今まで体調が悪くて来られなかった」と話す玉城さん。娘の小谷幸代さん(38)は「悲惨な戦争の記憶を思い出してしまうかもしれない、と思っていたのかも」と母の気持ちを酌み取る。「母が元気で歩けるうちに、一緒に行って手を合わせたいと思ったので、来ることができて良かった」と語る。

 玉城さんの耳には今も、死ぬ間際に苦しんだ姉の声が残っている。「いつまでも、あなたのことを忘れないでいるよ。安らかに眠ってください」。名が刻まれた亡き姉に優しく語り掛けながら、平和を願い続ける。

(社会部・大城志織)