■宮森小 米軍機墜落からきょう62年

 1959年に石川市(現うるま市)の宮森小学校と周辺住宅地に米軍戦闘機が墜落し、児童12人、住民6人が命を落とした事故から、30日で62年を迎える。高校を卒業したばかりの当時19歳だった伊波宏俊さん(81)は、近くの道路工事現場で働いていた時、墜落事故に遭遇した。

墜落直後に消火活動をした場所を指さす伊波宏俊さん=17日、うるま市内

 午前10時の休憩で、作業員が皆、休んでいる時だった。沖縄戦の記憶が色濃く残っていた頃。頭上を飛ぶ米軍機の異音に、年配の作業員が「あの飛行機おかしいぞ、落ちるんじゃないか」と指差した。

 その声につられて見ると、機体は伊波さんの正面を滑空するように通過し、住宅街の方へ消えていった。黒々とした黒煙が高く立ち上る光景は「今でも鮮明に覚えている」。

 とっさに、そばにあった自転車に飛び乗った。最初に墜落した住宅街へ駆け付け、住民らによるバケツリレーの先頭に立ち、消火活動に当たった。

 「1人でも助けたい、見つけたい」。夢中で水を掛け続けたが、現場は米軍機のジェット燃料が燃え広がっていた。「どんなに水を掛けても、油が浮いて広がってしまう。燃え尽きるまで消えなかった」。火が消え、なぎ倒された住宅を捜索すると、変わり果てた2人の遺体が見つかった。

 宮森小までジェット機が達していたのを知ったのは、消火活動が一段落してからだった。小学校に入ろうとしたが、米兵が取り囲み、近づけない。米軍の強力な支配下に置かれた「屈辱的な状況だった。ただただ悔しかった」。

 その後、伊波さんは大学へ進学し、中学校の理科教員になった。教え子には「事実に向き合い、科学的思考で考える大切さ」を説いてきた。事故に遭遇した自分の使命だと感じたからだ。「おかしいことにおかしいと言うために、科学の思考を身に付けないといけない。子どもたちに同じ屈辱を味わわせないためにも当時のことを知ってほしい」と話した。

(中部報道部・仲村時宇ラ)