大注目の沖縄アーティストを沖縄カルチャーの広告塔 幸田悟がインタビューで深掘りする連載企画「幸田悟の沖縄音楽旅行+プラス」第七弾!! 今回は、あかまーみへのスペシャル・インタビューをお届けします!!

あかまーみ
あかまーみ

 本格的沖縄民謡の歌い方や背景を掘り下げて追求し続ける久米島出身の村吉茜と、舞踊集団「花やから」で芸歴を積み上げてきた上地愛美のふたりによるユニットあかまーみ。コロナ禍だからこそ、家族で楽しめる沖縄の歌を届けたいとセカンド・アルバム『沖縄みんなのうた』をリリースした。母となり、歌の表現の幅も広がったあかまーみへの沖縄音楽旅行プラスならではの深堀りスペシャル・インタビュー!

―― それぞれ民謡を歌い始めたキッカケ、経歴を教えて下さい

村吉茜 私は、1988年久米島で生まれました。祖父は沖縄芝居の役者で、母も叔父もいとこも民謡歌手という芸能家系で育ったので、いつも傍に沖縄音楽がありました。15歳で琉球民謡協会の新人賞を受賞したのを皮切りに様々な賞をいただきました。とりわけ、ラジオ沖縄主催「新唄大賞」のグランプリと、琉球國民謡協会から民謡大賞を受賞したことは、とても良い思い出です。そして、19歳で本格的に歌の活動に入りました。20歳となった2008年にファースト・アルバム 『美童ぬ花』をリリースさせていただきました。ロンドン大学などイギリスで公演したほか、2010年には大阪琉球フェスティバルにも出演しました。

上地愛美 私は、1991年うるま市出身です。民謡、お芝居好きな祖母の勧めもあって、3歳で琉球舞踊を習い始めました。いつも踊っている曲を自分で演奏したいと7歳から三線を始めました。これまで、琉球民謡協会の新人賞、優秀賞、最高賞を受賞してます。12歳で舞踊集団「花やから」に入団し、公演はもとより、テレビやCMなど出演させていただきました。2000年からは、全国公演がスタートし、日本各地を巡業するなど、県内外、海外と年間ステージ数150~200回の公演を経験しました。その後、沖縄県立芸術大学に進学し古典音楽を学びました。

―― あかまーみを結成したキッカケ、これまでの活動を教えてください

村吉 私の故郷、久米島でお祝いがあり「何か歌ってハナヤカシー(華やかせて)してくれない?」と言われ、愛美に声をかけてステージで一緒に歌いました。おかげさまで会は大盛り上がり! それで一緒に活動したいと思い、「グループを組まない?」と誘いました。

上地 2016年のことです。最初はグループ名決めから(笑)。いろんな候補が出たんですが、一番ないな的な(笑)ふたりの名前をとって名付けた「あかまーみ」に決まりました。そして、2017年にファースト・アルバム『巡』をリリースと、一気に進めていきました。

村吉 リリースと同時に全国ツアーに出て、おかげさまでプレスした2,000枚を完売しました。

上地 たくさんの人に応援していただき、ありがたいなと思います。コロナ禍の今からすると、遠い昔の夢物語のようです。

―― おふたりとも毋となりました。歌に対する感じ方、向き合い方も変わりましたか?

村吉 これまでは、こどもの立場で歌っていたのですが、親となり、教訓歌などはこどもを諭すように歌えるようになった気がします。自分がこどものとき、毋たちがしてくれたように、沖縄のうたを教えたりしてます。

上地 私は逆に、毋としての現実から離れられるのが歌のステージ。ひとりの歌い手、上地愛美として歌を楽しんでいるという感じです。もちろん、歌の意味、背景など解釈、深みは自然と増したと思います。

―― ファースト・アルバム『巡』からおよそ5年ぶり、2枚目のアルバム『沖縄みんなのうた』をリリースしました。制作の経緯は?

村吉 コロナ禍でステイホームが推奨されるようになり、家族といる時間が増えました。いまのタイミングだからこそ、家族で楽しめるCDが必要なんだと感じました。私が幼いころ、親から歌や手遊びを教えてもらったように、家族で沖縄の歌を楽しめる、そんなCDを作りたいと思ったんです。

上地 『沖縄みんなのうた』は、沖縄のわらべうたを中心に17曲収録してます。CD付属のブックレットには、三線の楽譜「工工四(クンクンシー)」を掲載しました。私は、CDを聴いていい歌だなと思ったら三線で伴奏したくなるんですが、工工四を探すのにとても苦労したんです。三線をはじめたばかりの人も教則CDとして活用してくれたら嬉しいです。

村吉 このCDがキッカケで、お子さんが三線を始めてくれたら、もっと嬉しいです!!

―― コロナ禍でレコーディングも大変だったのでは?

村吉 コロナ禍なので逆に時間が豊富にあり、ふたりの練習時間もしっかり持てたのでレコーディングとしては、とても順調でした。プロデューサーには、褒めて褒めて持ち上げてもらって、気持ちよく収録できました(笑)。

上地 この時期、発表の場であるステージもなかったので、こどもたちも喜んでレコーディングに参加してくれました。私たちが歌をはじめたころは、厳しく指導していただきながら育ってきました。いまは、生徒と一緒に楽しみながらノビノビと指導させてもらってます。その楽しい雰囲気が伝わるCDになっていると思います。