19人もの尊い命が奪われた「相模原事件」から、きょうで5年となる。

 障がいのある入所者を次々と襲った元職員の死刑は確定したが、裁判でも繰り返された「障がい者は不幸を生む」という身勝手な主張は、今でも私たちの心に重く残る。

 事件は2016年7月26日、相模原市の知的障がい者施設「津久井やまゆり園」で起きた。元職員の植松聖死刑囚が施設内に侵入し、入所者19人を刃物で刺して殺害、職員2人を含む26人に重軽傷を負わせた。

 5年となるのを前に20日、現場跡地に再建された新施設で追悼式が営まれた。正門前の広場には鎮魂のモニュメント(慰霊碑)も設置された。

 神奈川県は慰霊碑設置に当たり、亡くなった19人の遺族に名前を彫るかどうか意向を聞いている。同意したのは7人。

 慰霊碑には犠牲者を表すヤマユリのイラストも彫られたが、遺族1人が望まなかったため、花は1本少ない18本となった。

 これまで名前を公表していた犠牲者は、母親が「生きた証しを残したい」とした当時19歳の「美帆さん」だけ。

 今回、ある遺族は「障がいがある方々が生きやすい社会になるかを考える契機に」と刻銘を選んだ。5年という時間が心をほぐし、事件を風化させたくないとの思いにつながったのかもしれない。

 一方で「そっとしておいてほしい」と名前を刻まなかった遺族もいる。そう望む背景に障がい者が背負う数々の社会的不利があることも忘れてはならない。

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 東京五輪・パラリンピック開会式の楽曲制作担当者の辞任騒動を巡って、相模原事件につながる「恐怖」のようなものを感じた人も少なくなかったのではないか。

 学生時代のこととはいえ担当者が雑誌で告白した障がい者に対するいじめは、「いじめ」という言葉では片付けられないほど悪質で凄惨(せいさん)で尊厳を著しく傷つける行為だった。

 障がい者団体でつくるDPI日本会議は、そのいじめや虐待行為にきちんと対応せずに目をつぶってきた学校、社会の姿勢が「障がい者差別や優生思想を助長させ、相模原事件を生み出すことにつながった」との声明を発表している。

 日本も批准した障害者権利条約が原則とする「インクルーシブ教育」が、社会に根付いていない現実を改めて突き付けたといえる。

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 意思疎通ができない重度障がい者を自らの造語で「心失者」と呼ぶなど植松死刑囚の根深い差別意識や優生思想の「なぜ」は、裁判を通してもほとんど解明されなかった。

 差別や排除の思想をなくすには何が必要なのか。私たち社会のありようが問われている。

 慰霊碑に刻まれた一人一人の人生を振り返るとともに、刻めなかった一人一人の人生を想像しながら、誰もがその人らしく暮らせる社会の実現について考えたい。

 共生社会の芽を育まなければならない。