銀髪の時代 「老い」を生きる

還暦前に兆し 明るい家庭から消えた歌声【銀髪の時代】

2017年1月27日 05:36

【連載・銀髪の時代 「老い」を生きる】

自宅玄関で孫を抱く60歳前後の安慶名静枝さん。与那城町役場を退職した後で、物忘れなどの症状が出始めていた=2005年ごろ、沖縄市(安慶名達也さん提供)

 タンスにしまわれていたアルバムには、自宅の玄関先で幼い孫を抱くにこやかな女性の写真。おどけたVサインは長年勤務した当時の与那城町役場の一角で、友人たちに囲まれた1こまは旅先で撮ったものらしい。

 「その場の空気をパッと明るくするウイットに富んだ性格。ものすごく面倒見がよく、読書も好きだったな」

 6年近くもの間、あるじがいない沖縄市の実家で、長男の安慶名達也さん(48)は一枚一枚に思いを巡らせながら母静枝さん=当時(66)=を語った。

 静枝さんは旧与那城村(現うるま市)出身。生後1カ月で沖縄戦に巻き込まれ、通信隊に駆り出された父を糸満市摩文仁で亡くした。

 海外移民の親戚からの支援がある比較的裕福な家柄で、戦後の生活に困ることはなかったようだ。それは結婚・出産後もしばらく続き「当時の家庭では珍しく、ビデオデッキやステレオがあった」と、達也さんは自らの幼少期を懐かしむ。録画したボクシングの試合を見るため近所の子が家に集まり、具志堅用高の左ストレートに熱狂した。

 苦境に陥るのは、夫である達也さんの父が事業に失敗し、多額の借金を背負ってから。やがて離婚し、母子家庭で再出発した。

 「もう時効かな」。達也さんはそう前置きすると、役場勤めの静枝さんが生活費の足しにと、夜の飲食店を手伝っていた30年ほど前のことを明かした。暮らしぶりは一変したが悲壮感を感じさせない、たくましさがあった母。「学生時代の弁当は、毎日おふくろの手作り。節約のためだったが、味だけでなく彩りも抜群で、同級生たちにうらやましがられた」。料理は調理師免許を持つ腕前だった。

 認知症の兆しが現れたのは2人の息子が自立し、生活に余裕が出始めたころ。定年退職まで数年を残した静枝さんは、こうつぶやくようになっていた。「母ちゃん、最近なんかおかしい。忘れっぽくなっているさあ」

 日常的に必要なパソコン操作が覚えられず、高額なパソコンスクールを契約したが長続きしなかった。突然、沖縄市の建売住宅をローンで購入し、周りを驚かせたのも同じ時期だ。「今思えば、判断能力が鈍り始めていたのかもしれない」と達也さんは付け加えた。

 静枝さんは59歳で勧奨退職の道を選ぶ。還暦をまたぐと症状はだんだん進み、大好きな美空ひばりの歌を口ずさみ、生け花をたしなんでいた日常から家庭の味が消え、音楽が、花の名が消えていった。(「銀髪の時代」取材班・新垣綾子)

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