【連載・銀髪の時代 「老い」を生きる】
母親の帰りを待ちわびる歳月は、今年5月で7年目に入る。「すぐに見つかると思ったのに、まさかこんなことになるなんて」と安慶名達也さん(48)が嘆息する。母静枝さんは健在なら、2月で72歳を迎える年女だ。
認知症で行方不明になった静枝さんが沖縄市の自宅から一人で散歩に出掛けたのは、2011年5月26日午後6時ごろとみられている。時間との闘いの中、無情にも2日後の28日には台風2号が接近し、沖縄本島を暴風域に巻き込んだ。捜索はスタートから難航した。
警察や親戚だけでなく、静枝さんの友人や達也さんの職場スタッフが加わり、自宅周辺や散歩コース、故郷のうるま市与那城を捜し回った。
身長160センチ、体重80キロの身体的特徴や服装などを記したチラシを配ると、確度の高い目撃情報も続々と入った。ホームセンターの前、パチンコ店の中、横断歩道上…。「地縁・血縁に増して、気持ちでつながる“志縁”のありがたさが身に染みた」と達也さん。
しかし連絡をもとに現場へ急ぐと「おふくろらしき人も情報提供者の姿もなく、足取りが途絶えることの繰り返し」。地域を回り、公民館などに音声放送を依頼したが「本人の同意がない」などの理由でかなわなかったことがあった。捜索状況を整理して指示を出すノウハウがないため、あいまいな情報に長時間を費やし、協力者の捜索エリアが重複する非効率な状況も発生した。「無力な自分が情けなくて熟睡できず、座ったまま朝を待った」。苦悶(くもん)の日々が続いた。
望みをつなぐ目撃情報は、その年の暮れまで断続的に寄せられた。ある時は、外出時に静枝さんが持ち出した白い帽子をかぶったホームレスに遭遇。「チラシの情報とは違う服装だった」「随分痩せていた」という共通した証言も得られた。
ただ、どんなに存在を近くに感じても、肝心の本人にはたどり着けない。「元気に帰ってくるのは夢の中だけ。そんなときはもう一度会いたくて、また寝るんです」
情報が完全に途絶えてからおよそ3年半。住人不在の静かな実家で、母の写真を手にした達也さんは「ぼくたちの社会、少なくともこのままじゃいけないですよね」と投げ掛けた。
県警によると、12年から16年11月末までに県内で行方不明届が出された65歳以上高齢者は941人。このうち認知症の人は361人に上る。「決して人ごとじゃないと一人でも多くの人に知ってほしい。生死も分からない中ぶらりんの苦しみは、自分たち家族で終わりにしないと」と言葉を継いだ。(「銀髪の時代」取材班・新垣綾子)
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