【連載・銀髪の時代 「老い」を生きる】
「おかえり葉子さん。乾杯しようか」
金城正次郎さん(84)の瞳が、妻の葉子さん(80)をとらえた。正次郎さんは黒砂糖入り、葉子さんはブラックコーヒーで「乾杯」するのが夫婦の朝の習慣だ。
「正次郎さん、温めてくるから少し待っていて下さいね」。せっかちな葉子さんが小柄な体をくるりと回すと、くぐもった声が追い掛けてくる。「急がなくていいからねー」
まるで自宅のリビングにいるかのように振る舞う正次郎さんは今、介護老人保健施設で暮らしている。胃ろうの処置を受け、実はコーヒーを飲めない体だ。それでも正次郎さんの元には、家で妻と迎える「いつも通りの朝」が訪れる。
自身の置かれている状況を認識する力が弱まるのは認知症の症状の一つ。夫の“世界”に寄り添うように、葉子さんはコーヒーを温めるふりをして、しばらくそばを離れる。そして夫の「コーヒータイム」の終わりを静かに待つ。
本土復帰目前、完成したばかりの那覇市民会館で挙式した。昨年6月、正次郎さんは肺炎をきっかけに車いすの身になり、全面的な介護が必要な要介護度5となった。築40年、段差の目立つ那覇市首里の自宅での生活は難しくなった。
ただ、正次郎さんの記憶の糸は絡まっても、葉子さんら家族の名を思い出せなかったことはない。夜になれば自宅にいるものと思い、施設のベッドで妻を探して名を呼び続ける。
夫の様子を記す葉子さんの介護日記には、肺炎で入院した直後、正次郎さんが書いた「文字」のコピーが貼り付けてある。介護保険の認定調査で市職員に自身の名前を書くよう言われたが、漢字の体をなしていなかった。自宅の住所が言えず、現在の年月日と生まれた年月日を混同した。
ささいな物忘れや置き忘れ、ちぐはぐな動作が目につき始めたのは1996年ごろ。葉子さんが忘れられないのは、数十年前の地図を最新のものと思い込み、道順に悩んでいた64歳の正次郎さんの姿だ。
厚生労働省が、それまでの「痴呆(ちほう)」という呼称を「認知症」に改める8年前のこと。葉子さんがかかりつけの内科医に何度「検査してほしい」と訴えても「高齢になれば、よくあること」と一蹴され取り合ってもらえなかった。
ようやく正次郎さんに認知症の診断名が付いたのは2006年。那覇市役所で働く運転手として一家の暮らしを支えた正次郎さんが、運転免許証を手放した年だ。=文中仮名(「銀髪の時代」取材班・篠原知恵)