沖縄ステーキ史(2)

 沖縄ステーキ発祥のニューヨークレストランからの「のれん分け」が広がった1950年代は、県内に米軍基地が次々と建設されていた時期に当たる。これといった産業もなく、沖縄全体が基地収入に頼っていた時期。米兵が主に利用していたニューヨークレストランは、名護市辺野古や金武町、旧具志川市など基地の門前町に出店していった。

 店を開いたのは故・元山嘉志富(かしとみ)氏から米国仕込みの調理技術を受け継いだ若者たち。彼らは習得した技術を基に、米兵が求める本場アメリカのメニューに挑戦し、新たな洋食レシピも身に付けていく。

 越来村(現沖縄市)のビジネスセンター通りに開店した故・徳富清助氏はタコスやスパゲティ、アップルパイなどさまざまな料理に取り組み、メニューを増やしていった。

 清助氏の息子で、店を継いだ清次氏(76)は「父は研究熱心だった。米国人からじかに習っているので、洋食のレシピを取り入れたのは本土より早かったと思う」と話す。

 50年代半ばにはタコスも提供していた。レシピは米兵からの聞き伝えで、食材も沖縄でそろえなくてはいけない。当時はトウモロコシの粉がなく那覇市の精米所でトウモロコシをひいてもらうなど、試行錯誤で完成させていった。

 沖縄を代表する人気メニュー、タコライスも当時は賄い料理だった。...